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最近、よく「ガイアックスってティール組織じゃね?」と言われる。
僕的には、ガイアックスは残念ながら、すでにもはや組織ではなく、コミュニティかなと思っているので、その点が違う。

言わば、「お前の会社って、もしかして、糞じゃね?」って、よく言ってもらっているのだが、「すみません。すでに堆肥に変わっているようです。」という感じ。

まぁとはいえ、ティール組織とも言えなくはない状態の中で、ティール組織を成立させる上で大切だと思うこと、ポイントだと思うことをいくつか書いておきたい。

 

●資本主義社会の活用

会社は普通、社長が居て、ヒエラルキーがあって、権限があり、それでコントロールされている。そのため、仕事が出来る人であればあるほど、もしくは、効率的に組織をマネージできる人であればあるほど、「ティール組織なんて成り立たないだろう」という考えを持っているケースが多い。
結局、自由があるとか、権限を渡すとかって言っても、最後、何かしらで承認システムを作らないといけないのでは?最後、何かしらで意思決定をしないといけないのでは?と考えていらっしゃる。

僕は、そうは思わない。
ティール組織は、十分にありえる。

「今、研究されつつある、もしかしたら、存在可能なのかもしれない物体」という最先端のものという感じでもなく、昔から、当たり前にありえる常識的なシステムだと思っている。

ティール組織とも言える2つの事例を紹介したい。
1つは、自然界である。
そして、もう1つは、経済界である。

弱肉強食の自然界と、弱肉強食である資本主義の経済界は類似点が多い。
自然社会、そう、ガイアでは、一つ一つの生命体が自由に飛び回り、エネルギに満ち溢れていて、すぐに姿形が変わって、進化論のとおり、進化と絶滅が繰り広げられていく。でも、だからこそ、そこに生きようとするエネルギーが溢れているのである。一歩下がって地球を見てみると、ガイアは調和が取れていて、青く、そしてすごく美しい。
日本の経済社会全体も同様に、一つ一つの会社が自由に飛び回っている。だからこそ、エネルギーに満ち溢れていて、新しいイノベーションが出てくるのである。大切なのは、許認可や規制や秩序ではない。自由や競争なのである。その結果として、パワフルな国家に仕上がっているわけなのである。

会社法人の単位で見ると、たしかに組織立っていて、社長がいて、軍隊型だったり、達成型だったり、先進的で心優しいところは家族型だったりしている。しかし、その会社の集合体である日本の経済社会は、ティール型であり、意思決定が分散しているのである。そして、経済社会からは常に力強い生命の息吹を感じることができるのである。
僕は、世耕経済産業大臣のことを尊敬しているが、日本の経営者や街の商売人は、世耕大臣の見通しや方針に対して、盲目的に、上意下達的に「ミギニナラエ」をしているわけではない。世耕大臣のおっしゃることに対して「それってほんまに儲かりまっか?」である。各自が、勝手に政策インパクトを見通し、勝手に意思決定をするのである。ヒエラルキーも、指示命令系統も、承認もない。

ガイアックスでも、社長の立場や上層部の承認やヒエラルキーでコントロールされているわけではなく、そこら中に資本主義社会が行き届いている。
そのため、実はガイアックスは、家族型な温かい会社でもない。ティール組織というのは、家族経営のような優しさ溢れる組織ではない。弱肉強食の熱さとエネルギー溢れる組織なのだ。

 

・ユニット単位に資本主義社会が行き届いている

ユニットごとに、PLを持っている。持っているが故に、独自で判断をしている。
つまり予算を組んで、そして毎月月次で実績を流し込んでいるが、それだけでなく、リアルタイムで「フォアキャスト(予想)」を更新できるシステムも組んでいる。
予定より人を採用したり、案件をロストしたりする際に、会計からくる実績を待たずに、当初作っていた予算の項目を更新することで、PL全体や、年度末着地が更新されるというシステムだ。フォアキャストを眺めていると、みんなが毎日コロコロ変更しているので、年度末着地の予想の営業利益とかが、株価のように上下動しつづけている感じが見て取れる。
社内やグループ取引をしてもらいたいが、それもそもそも自由だし、価格や品質次第で、外部とも取引している。PLを持つことで、権限と責任を行き渡らせているのだ。

行き届いているのは、ユニットごとのPLの管理システムだけじゃない。

グループ会社は、すべからず、その経営陣とそのメンバーがその会社の株式かオプションを持っている。持っているが故に、本気で独自で判断してくる。
ガイアックスグループの代表の僕が、「ガイアックスグループとして、シェアリングエコノミーを中心に事業展開をしていく。」と高らかに宣言しても、僕の方を見て、首を傾げて、「それって、儲かりまっか?」という反応である。
まぁ各グループ会社の立場として、「僕ら経営陣の持っているこの株式の価値って、その方針で最大化されますか?保証はあるのですか?」って思うことは、もっともである。
実は、もっと言えば、ガイアックスが一定比率の持ち株比率を持っている会社のことを簡易的にグループ会社と言ってはいるが、悲しいことに、多くのケースで各社に対して、ガイアックスとしての議決権を放棄するという合意書を差し入れている。結果、会計上の連結子会社でもなくなっちゃっていて、より、各会社の経営陣の皆様が自由にスピーディに意思決定をしている今日この頃なのである。

ガイアックスの立場で、議決権があると良いのか、承認権があると良いのか。まぁそんなわけはない。そんなことが重要なわけがない。各ユニットのど真ん中に熱さこそが必要なのだ。
会計上の連結であることが重要なのか?いや違う。熱さからくる事業の力強い伸長が重要であって、実際に儲かることが重要なのだ。

 

・個人に資本主義社会が行き届いている

資本主義は、ユニット単位にだけではない。個人にも行き届いている。
個人の給料は個人で決める形となっている。
各自が長期的な計画と短期的な計画とを持ちながら、どういうアウトプットを出すのか、と、その時の報酬額について、予め宣言している。
常に自分で「この仕事でいくらもらうべきか」ということを考えながら、設計をしている。

給料テーブルが全社に用意されていて、それに基づいて報酬が決まるわけではない。一人ひとりが給料を決める以上、一人ひとりに給料テーブルがあるわけだ。

(もっとも、お金や給料に興味がない人が多いし、ガイアックスグループの多くのメンバーが、何らかの形で株式を持っているので、お金に興味がある人もちゃんと考えると、給料には興味がなくなるのだが。もはや、僕たちは社会人であり、小学生でもないので、「お金持ちになる」には、現実的には、株しか無いということは、誰もが知っている。本日時点の「世のお金持ち」の皆様は、すべからず、株の力を使ってお金持ちになっている、なんてこと、誰もが知っている。)

 

またそもそも、副業というか他の仕事と、ガイアックスグループに対する仕事との投下工数をどのぐらいにするのかから、自分で考え設定している。
フルコミットで働く人もいれば、週一の正社員だっている。時期によって働き方を変える人すらもいる。

働くといっても、ちゃんとまじめに働くふりをしているだけで、新卒からして自分の仕事を自由にクラウドソーシングなど外部発注を活用しまくってこなしている。
そして、ガイアックスのグループ内でも副業の受発注OKなので、事業部が他の部署の正社員にも、直接取引な業務発注をしてしまっている。
社員に、その所属部署を通さず、仕事を発注しちゃっているのだ。今、流行りつつある「闇営業」である。

つまり、副業としてグループ外から直接的に報酬をもらっているケースも増えてきているのに併せて、グループ内に私に給料を払っている人(現世で言うところの「上司」と呼ばれる人なのかもしれない)が1名じゃないケースが増えてきているのだ。
給料テーブルも、ややこしい業務になればなるほど、結局予め、自分で決めているのだが。

自分の意思決定で、リターンを上げることができる。
上司とか権限というものが悲しすぎるぐらいプアな存在なので、グループ内で「上司にご機嫌伺い」的な雰囲気はまったくない。
イケてない事業には、人が寄ってこず、イケている事業に、人が集まってくる。
自由でイノベーティブで熱量ある動きを、皆さん、目指される。

資本主義社会の仕組みに立脚することで、軍隊型でも、達成型でも、家族型でもなく、ティール型の組織になれるのである。

 

●資本主義社会の価値観が脳みそを溶かしてしまう

一方で、「資本主義」というものは、クリティカルにダメなところをたくさん持っている。
資本主義社会の作り出す価値観が、僕たちの脳みそを溶かしてしまい、僕たちを、バカで、カスで、終わってるヤツにしてしまうのだ。
資本主義社会は、本当に恐ろしい。間違いなく、今、人類最大の敵である。
エネルギッシュで、狡猾で、どこにでも潜り込んできて、ウォーキングデッドのように次々と感染者を増大させていく。
まじでトドメを刺してしまいたい。

資本主義社会のせいで、僕たちの脳みそは溶かされてしまって、狂わされてしまっている。

僕たちは、金持ちがエライと思うようになってしまう。
金持ちになりたいと思わされてしまう。
詐欺をする人が、本当に世の中に出てきてしまう。
ブランド品など高いものに憧れを持つようになり、所持したいと思わされてしまう。
みんなでシェアすればいいのに、一人ひとりで所有したいと思ってしまう。
なんと、店員よりも、お金を払う客の方が上だという明らかに間違った常識が溢れている。
僕が金を払えば、店員や周りはヘイコラするものだと思ってしまう。
働くひとの立場で、報酬をより多く獲得すべく、積極的にヘイコラしてしまう。
価値あるもの、ではなく、売れるもの、を作ろうとする。
化学調味料を目立たないように、でも、たくさん使ったものが、実際に世に溢れている。

こんな腐った価値観に、骨の髄まで侵されてしまった人たちがいればいるほど、
組織の中に、お金に対して、こだわりを持つ人がいればいるほど、
ティール組織を目指すことの難易度が上がっていく。
働いている人全員が、「資本主義」や「物質主義」や「贅沢をしたいということ」や「過度な報酬を得たいということ」について、無関心であること。これが重要なのである。

 

昔、大学生の時代、営業会社で働いていた頃を思い出す。
成績を上げると、なんと、椅子が立派になるのだ。リクライニングができる椅子になるのである。
そしてもっと成績を上げると、なんと肘掛けがついている椅子に座れるようになるのである。
もちろん、支店長は個室を持っていた。
今思うと、営業で攻め攻めの会社だったので、大阪梅田の中でもかなりきれいで立派なオフィスに入居していたなぁって思う。
(比べると、なんて、NagatachoGRiDって、雑すぎるんだろう。古さ満点だし。)

業績を上げると給料が上がるのであるが、びっくりすることに、みんなが自分のもらえる給料に意識をフォーカスさせていた。
給料が下がると悲しみ、給料が上がると喜ぶのだ。
周りの給料が、自分よりも高いと妬み、低いと嬉しがって喜んでいるのだ。
高い給料になって、自慢げにブランドのスーツを買っていた。

僕が、達成型の組織でマネージメントをしていくのであれば、当然であるが、こういう感じで、実績評価をするし、成果報酬にするだろう。
成果報酬にするだけでなく、その報酬額に全社員の意識が行くようにコントロールしていくだろう。
個々人の生きがいやライフプランなんてコントロールしにくいものではなく、より組織として、マネジメントやコントロールをしやすいように「がんばって報酬を上げたいな。」と思わせるに決まっている。社員さんが贅沢をしたがる状態というのは、まさに組織運営者としては、きっちりと術中にはめている、と自慢できると言っても過言ではない。

社員さんから、他の人に比べて給料が低いとか、不公平だっていうクレームが来たりする。
組織のマネージャとしては、その不満に対してケアをしなければならないのではあるが。とはいえ、そんな給料なんていう、本来その人自身の人生において、マジでどうでもいいことに注目をしちゃっていて、不満を持っちゃっている時点で、組織運営者としては勝負に勝っているようなものである。

家族的な組織で見た場合であっても、なぜ平等でないのか、もしくは少なくとも、公平な評価ではないのだ、という話になる。
僕の感覚で言えば、組織の中において平等や公平であることなんて、まったく重要ではない。

同期と同じアウトプットを出して、報酬が違うということについて、仮に文句を言いたいのであれば、ぜひ、向かいのビルに入っているあの大手企業のあの同じ学歴の同い年の彼との報酬や待遇の違いについても文句を言ってもらいたい。
ぜひ、同じ学歴で、能力差がきっと1.5倍もないのにも関わらず、若くして会社をバイアウトして資産が1000倍違う彼との報酬の違いについて文句を言ってもらいたい。
「同じクラスの花子ちゃんは買ってもらってたヌイグルミ、私も欲しいよ!欲しいよ!」じゃないんだから、同僚や知り合いを特別視するのではなく、世の中の人、つまり赤の他人も同様に見てもらいたいのだ。そのレベルで思考を働かせてもらいたい。

僕も、他の会社の社長との報酬差について、文句を言っていいのですかね!
そんなことを意識したこと無いし、見比べて不満を感じるなんてバカなことを思いついたこともない。僕自身がアホらしくてしてないことを、ガイアックスのメンバーにお薦めするなんて変なことは、決してできない。

資本主義社会に侵されてしまうことで、ミッションや、一人ひとりの価値観やライフプランを大切にするようなティールな組織にはなるのは難しい。
その行き先は、達成型の組織まっしぐらになってしまうのだ。その考え方のせいで、管理者に操られるようになるのだ。もしくは、管理者が操らなければならないようになるのである。
平等を過度に大切にしても意味がない。それはそれで、家族型の組織まっしぐらになってしまう。
大切なのは、資本主義社会の臭い香りを、うちわで扇いで遠くのどこかに追いやること、なのである。

 

読み返してみると、全部、資本主義の話。
ピュアにティール組織の話のつもりだったのに。
相変わらず、上田は、資本主義が好きで好きでたまらないようだ。ツンデレというか。可愛さ余って憎さ百倍というか。

ティール組織を作るには、現時点ではマイクロなレベルにまで、資本の枠組みや、商取引をフル活用するのが良いと考えている。そして、ガイアックスでは、それはそれでそれに倒しまくっている。
でも、資本主義はあまりに弊害が多すぎて、怖い悪魔が潜んじゃっているので、気を緩めると、自分たち自身の脳を溶かされてしまう。

だからこそ本来は、組織内において資本の取引ではなく、「思い」や「夢」や「ミッション」で、それの重さや熱さで取引すべきなのだ。
そのほうがピュアで、パワフルで、弊害がなくて、より正しいはずなのである。
僕たちは、資本主義社会を活用しつつも、そういう組織を作りにいっているし、本来はもっとピュアにそういう仕組みに倒していきたい。

 

こう考えると、自然界、ガイアにおける商取引のお作法、つまり、命をいただく、命を差し出す、で成り立っているシステムに、本当に神聖さを感じる。

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