個人の時代

先日、かなり仕事ができる女性に会った。いろいろ業界事情をレクチャーいただいたのだが、短時間なのにメチャクチャわかりやすかった。
仕事はできるし、すごく優しいし、細かいところまですごく心遣いができるし、語学力も尋常じゃなく、こんな素敵で綺麗な人がいるんだ!ってびっくりした!
今、思い出しても、その凄さにドキドキしちゃう。

その人が個人での成績が良すぎるので、また講演などすると好評すぎるので、属されている会社の方針としては、出来るだけその方ではなく、組織全体としてアウトプットを出すような組織体制を作る、とのこと。つまり、できるだけそのポイントゲッター一人が活躍するのではなく、他のメンバーも前面に押し出して、他のメンバーも目立つようにしていく、ということになっているとのこと。もしも、その方が会社を退職されたら、もはや継続性がなくなってしまうからだ。

その女性も、まぁ何度かは、上司や周りに、こんなんだったら会社を辞めたいんですけど!ぐらいは、言ってるんだとは思う。(ただ、まぁ全地球人が一度くらいはそんな話をまわりにしたことはあるだろうが。)
そして話を聞くと、実際その方は、10年以上会社にコミットしている人で、今もなお退職する予定もなく。普通に考えて、会社の立場だったら、こんなに素晴らしい人は居ないだろうなと思う。

でも、だからといって、会社としては、どうするべきなのだろうか。

これは、なかなか、難しい問題である。
たしかに、会社たるもの、組織で勝てるようにならないとダメだし、あのブルーオーシャンというビジネス本にも出てきていた、エンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」も、そういう方針である。通常のショーやサーカスであれば、看板役者がキーではあるが、そういう立場の人は一切いない。その一般化が、つまり目立つ人がいない状態が、安定した経営を支えているのだ。劇団四季もさすがにおしゃれ。ライオンキング、先週末、見てきたよ!動物たちの動きがおしゃれなだけではなく、経営がおしゃれ。
もちろん、出身地である我らが関西・阪急沿線のアイコン的なショーである宝塚歌劇。看板役者が重要ではあるものの、もはや、看板役者が機械的に量産される枠組みが整理整頓されている。機械的って言っちゃあ、熱狂的なファンさんに怒られちゃうので、「毎年偶発的に」かな。
安定的に成功している会社というのは、そういった形で、組織力で戦う、仕組み化する、一人に頼らない、ということをしっかりと実現して、ゴーイング コンサーンな、そして、高収益な会社を作り上げることができる。

 

吉本の闇営業の問題が発生していたが、まさにあれも、組織としてどう利益構造を保つのか、の話し。

ブラックボックス化して、独占して、自由を認めさせない。
まぁ大衆は、芸人の味方をするだろうな。
でも、本来、それによって、多大なる利益がもたらされているわけなので、吉本の個人株主や、吉本の株主のテレビ会社の個人株主は、現行のパワフルな利益に、現行の独占を作っている状態に、拍手喝采するべきである。
あの社長が悪いという印象を持った人もいるが、どうせ吉本社の利益のほんの一部、いや、ほんのほんのほんの一部の利益しか、あの、社長には還元されていないのである。本当にあの社長さん、叩かれてかわいそう。でも、あのノラリクラリな応対は、ある意味プロフェッショナル!
話は戻って、会社の利益は、株主に還元されているわけである。つまり大衆の株主が儲かっているのである。それゆえに、大衆が叩いちゃっているのを見ると、おまえら、利益だけ食べておいて、ズルいぞ、って思う。

 

あるべき経営はそうだとしても、上田個人としては、この問題に対してどう感じるのだろうか。
たしかに、「情報共有」して、「効率化」や「システム化」を図るのは、大好きだ。なんと言っても、座右の銘は「効率は愛」だから!
もっと言えば、効率化していく先には、社内でノウハウをまとめていくのではなく、公衆の面前でパブリックな形として、ノウハウをまとめていくべきだとも思っている。
情報やノウハウを一部で専有して握ってしまうことについては、本当に許せない。情報格差や独占が、資本主義社会における、もっとも重要な利益構造の根源であるとは思うが、そして、ビジネスとして、ついそれを食べに行く自分もいるのだが、一方で、一歩下がって落ち着いて考えると、理念のレベルとしては許せない。

組織化・システム化が重要である。が、このソーシャルやシェアな時代において、そして、このベンチャーな時代において、個人個人の秘めたるパワーは計り知れない。
そのパワーを思いっきり開放しなければならないのではないかとも思う。

たとえば、会社発信の情報なんて、誰も読まない。「あの人の新しい投稿か!」って思うから、その記事を読むのである。
中国に遊びに行った際に事情を聞いたのだが、もはや、メールやパソコンではなく、メッセージアプリのWeChatで全部仕事をしてしまうそうだ。日本でも気がつけば、Facebookメッセンジャーで、やりとりや仕事をしないといけなくなる。どうしても、メッセンジャーだと、業務やタスクが流れちゃうし、アーカイブ機能がないので、上田としては嫌いなのだが、それでもイヤガオウだ。
個人的には、やはり、グループを作れ、検索機能があり、そしてアーカイブ機能での未処理・処理済みを切り分けられるGmailが好きだ。スパムも消してくれるし。
組織化という観点では、メーリングリストやグループを作って、組織でやり取りしながら仕事を進める、というのは、間違っていないと思う。
が、しかし、現実としては、目の前にいる人とメッセンジャーやWeChatでつながり、個人間のやり取りで仕事をしてしまうのだ。ぶっちゃけ、そんなものだろうなと思う。そして、その傾向は、もっと増えていきそうだ。

会社としての情報発信ではなく、個人としての情報発信の方が、数倍パワフルにメッセージが届く。今どき誰が、会社発信の情報を読むのだろうか。会社発信で、顔が見えない時点で、読む気も失せる。せっかくの個人の書いたコンテンツが、会社用に仕上げることで、「会社からの発信」に振り替えることで、その手間こそが、そのパワーを減らしてしまう。本当に残念なことである。

このベンチャーな時代において。また、このソーシャルメディアな時代において。
人と比べて、頭が1つも2つも飛び出ている人(そして、性格もいい人!)は、一般に比べて、5倍10倍のアウトプットを出せるようになる。
実際、ガイアックスに社員として入社した人の多くの人(といっても20人程度?)が、キャピタルゲインという仕組みで、億単位以上は稼いでいると思う。もちろん、通常の社員、通常の月次の報酬では、とても、そのクラスの金額を出せない。
その結果、グループの中でも仕事ができる人は、もはや、報酬にほとんどこだわっていない。その代わり、ストックオプションや持ち株比率など、キャピタルゲインの構造には、すごくこだわっている。とはいえ、一定の成功をしたら、億単位になる、だけのイメージで、それ以上の詳しい金額感に、こだわっているわけじゃないのだが。もっと言えば、金銭的成功になんらこだわっていないのだが。
つまり、キャピタルゲインとアウトプットが完全に連動しているわけでもないのだが、一般に比べて、1.5倍とかの報酬の感覚ではない。数倍・数十倍だ!そういう時代なのである。

組織として、しっかりとした立派な軍隊を作るというのが良い、ということは間違いないのだが、こういう時代だからこそ、もはや、しっかりとした立派な軍隊ではなく、ユニークで生命力溢れるコミュニティを作るというのも良いと思う。
先日も京都でICCというベンチャー企業の経営者が集まるイベントがあったのだが、そこのイベントに参加して会場に座っている数百人の人たちは、本当に魑魅魍魎な人たちである。
一流ホテルのカンファレンス会場でのイベントなのだが、そのカンファレンス会場は、いつもだったら、しっかりした会社や組織のしっかりした幹部陣以上が数百人集まっているのだろうな。パリッとした一流のスーツを着て。
そして、それらとICCのイベントの風景とは、全く、別物の存在である。そういう魑魅魍魎で生命力溢れる人たちこそが、面白いと思う。世界の未来を作ると思っている。

もしも、組織の中に、尖っているが、さらに尖らせるとさらに大幅に跳ねる人材がいる場合、「組織や社会に対するノウハウ共有は必須」であるものの、
(1)「組織を底上げすることが大切か」
(2)「跳ねられるだけ跳ねるようにすることが大切か」
というのは、経営方針として、大きな違いがあるんだろう。

前者の組織底上げ方針の方が、組織を作り込むことで組織の取り分比率も高い。おそらく、7割8割だろうし、基本的には、経営上の選択として妥当だし、有利だろう。

後者の方であれば、そもそも跳ねた時に組織として、関係を持てるかどうかが一般的には難しい。
たとえば、この女性の方が、業界において目立ちに目立ち、退職・独立し、最終的には、元の会社の競合となってしまったら、結局、目も当てられない。
リターンが多いか少ないかではなく、マイナスなのである。

僕だったら、こんな【社員である】という怖い状態を、早く安定化させたいので、カーブアウトしてもらう。つまり、タダでもいいので、何割もの株式を渡してしまうか、もしくは、それこそ早々に起業をしてもらって、起業支援をして、出資をさせてもらうか、を、するだろうなって思う。(まぁ、この枠組みのせいで、この枠組みの裏で、いろいろな問題が発生してしまうのだが。)

通常であれば、経営上の正しい選択は前者だと思う。後者の跳ねるようにする方だと、どうしても、ギャンブル要素が強いし、組織の取り分比率も低い。でも、もしも万一、誰か一人でも大成功してきたら、取り分が、3割とか5割だったとしても、もしくは、もっと少なくて、仮に1%だったとしても、通常の利益水準を超えるリターンがあるのだと思う。

 

上田ならどう考えるか。
いろいろ悩んでしまう。まぁ経営なのだから、当然いろいろ悩まなければならないのだろうなぁ。

まぁ結局のところ、何をしたいか、だろうなって思う。
どう「考えるか」じゃなく、どう「感じるか」。
だとしたら、個人の感情としては、仕事ができる人間が、これ以上ない形で、スピーディにすごい人になっていく。それを見ているのが、最高の快感である。
 

夢の車、らくらくカー

今週末、東京モーターショーに行くことにした。電動キックボードで勢いあるベンチャー企業さん、Luupの岡井社長に、特別招待券まで頂いた。Luupの新機種も出るらしく楽しみにしている。

携帯電話における「らくらくホン」は、素晴らしい商品だと思う。
あるターゲットに対象を合わせ、削り落とすところは削り落としまくった、偏りまくりのプロダクトである。そして、おそらく最新の機能はそこまで詰め込んでいないので、原価も安く、でも、特に安くなく普通の価格でも、全然売れてしまうという。

そのような感じの車版、「らくらくカー」をどこかのメーカーに作ってもらいたい。偏った奴。
日本の世の中には、まだまだ「偏り」が足りないと思う。

 

ちなみに、最近、高齢でもある実家の父親のための新車をいろいろ調べている。
もちろん、僕は、ライドシェアがあれば、こんな問題は解決されると思っているし、ライドシェアがあれば、父親にも免許証の返上をしてもらうのだが。それが実現できていないので、、、結果、いろいろと調べている。

家族会議をして下記の条件が出てきたのだが、この条件にフィットする良い車があれば教えて欲しい。ちなみに、トヨタ、スバル、マツダ、ホンダを回ったが、一番良かったのは、ホンダのフィットで、ただ、後進時の安全装置が弱いので、この秋のフルリニューアルを待っているところだ。その点が強化されると嬉しい。この東京モーターショーで見れるはずなので、楽しみにしている。

・僕や兄上も年に2〜3回乗るし、人数の関係で、軽はだめ。普通車で。
・歩行者を轢かないという安全装置が最も重要。
・車の図体が大きいと、当たってしまうリスクがあるし、死角ができやすいので、できるだけ小さい車がいい。
・逆に車の中にいる人の安全性は低くくていい。
・高速巡航時の自動運転機能など一切不要。そもそも高速に乗らない。最高時速を60kmにしてもらってもいい。
・夜間も車に乗らないので、夜間における衝突防止機能は、プアでも大丈夫。
・ガソリン車。
ハイブリッドにすることで、初期投資が上がり、ランニングが下がるが、回収できるほど、乗らないので、ガソリン車でいい。
しかも、静かであることは、逆に怖い。
・中古であることを厭わないが、結局、安全装置が古いと弱いので、最新型を買うつもり。
ここ数年は、安全装置関連が急激に進化しているので、型落ち車の価格下落が激しくなっていきそう!

 

ご高齢の方が、トヨタのプリウスで、お子さんの命を奪ってしまうなどの本当に痛ましい事故が何度かニュースで流れていた。
トヨタの販売店の方からは、プリウスの安全性が低いわけではない、と力説されていた。プリウスが単に売れすぎているだけなのだ、と。
まぁたしかに、そこそこの年齢で余裕がある方はプリウスを買っていそうなので、そういうこともあるのだろう。

ご高齢になられて、プリウスを所有できるということは、40年間、50年間、社会に役に立つべく一生懸命お仕事を取り組んでこられて、その総仕上げも無事に済んで、引退をし、自分自身でも「良い人生で良かったな」、まわりからも「おじいちゃん、良い人生を過ごせてよかったね」と思ってもらえてるのだろう。でも、事故を起こしてしまうことで、そういう状況にも関わらず、それらの幸せな人生がすべて暗転してしまうのである。

プリウス、地球環境に優しく、地球環境を考えている車の所有者さん、という印象を持つような素晴らしい車ではある。
でも、所有者として、事故を起こして被害者の方の命を傷つけてしまったら、被害者とそのご家族の方のことを考えたら、通常よりも高い費用を支払って、いつかどこかで少し効果を発する地球環境に優しく、ということを、ちゃんとケアできていたことが、逆に本当に悲しくなる。

ともかく、家族会議では、「人を轢かない車」であることが、最重要であることを確認した。
もっと言ってしまえば、事故を起こして、人にも大きな迷惑を掛けてしまったのに、車内に向けた安全装置はバッチリ実装されていて、自分は無傷、というのは、もっともヤルセナイ、という感じ。
自分自身が怪我をしたいわけでも、事故で死んでしまいたいわけでもないが、高齢になった自らの運転で、未来ある若い人生を閉ざしてしまうような事故を起こしてしまえば、あのような報道が流れるもの当然だと思うが、まさに、生きていて、なお、生き地獄であることも、事実ではあるとは思う。

おそらく、しっかりとご高齢になるまでお仕事をされてこられた方で、資金的にも余裕がある方なら、下記のような優先順位ではなかろうか。

人に迷惑をかけない >>>>>>>>>> 自分が安全 >>> 地球環境 > コスト

父上の今、乗っている車も、数年前に買った車で、そこまで距離も走っていないし、全然不満もなく、本人も買換えをしたいわけではないのだが、僕からの「たかだか、100万円、200万円で、リスクを低減できるなら、迷わず、買い換えるべきだ」という話しで、買い換えることとなった。

 

最近の安全性を高めている車は、本当にこの視点が欠けている。
車内の安全性に拘っているのが多い。
そして、安全性の点の高いものやランキングを見ると、歩行者の安全と車内の安全を総合評価している。場合によれば、自動で運転するようないろいろな機能のことを評価している。僕のような「父が買うべき車を探しているような消費者」からすると、全く意味がない情報である。

車内の安全性を高めるために、どんどん車の図体が大きくなっているのも、本当に問題である。
スバルのインプレッサは、ライバルのディーラーが、こぞって褒めていた。他社と違って、EyeSightという2つの目を使って、歩行者などを発見する独自に磨き上げてきた画像認識システムは本当にレベルが高いらしい。ただ、70歳のおじいちゃんが、あのスポーティな、バカでかい図体の、3ナンバーの車に乗るわけ無いじゃんって感じ。

複数のメーカーのうち、トヨタが最も精彩を欠いていた。あまりに欠いていたので、本当かなと思って、トヨタだけ、3店舗も巡ってみたが、もれなく、イマイチだった。
何より営業マンのレベルが低かった。僕の質問に対して、まったく的確に回答しないのだ。ごまかしてくるというか、ポイントが理解できていないというか。
また、説明がイマイチすぎるので、自分でパンフレットを詳しく見たが、見る限り、少なくとも小さなサイズにおける車の安全性の機能も、他社と劣るか、良くても同等程度であって、かなりイマイチだった。たしかに、ハイブリッドなど、地球環境のために力を入れているのは、分かるが、今回の要件には全くフィットしない。もしかしたら上級車には、安全性を高める機能を実装しているのかもしれないが、そんな車は今は要らない。
でもさすがトヨタ、恐るべき、なのは、4つのメーカーのうち、営業マンのスキル的にも車の実力的にも、本当にイマイチなのであるが、「日本のトップメーカーである」「トヨタだから安心」オーラだけは、ものすごく出してきていた。そのため、物を買うときは、一流品を買う傾向の強い父上・母上は、トヨタレンタカーのフランチャイズをやっていたからというのもあるかもだが、完全に心がトヨタに奪われていた。
「祐司くん、まぁトヨタでいいんじゃないの?」

ブランドというのは、本当に怖い。これこそが営業マンの質を下げているのかもしれない。

そうだ!我々は、ガイアックスという全くブランドのない会社で働けていて、幸せと感じるべきなのだ!

 

マツダは、デミオみたいな小型の標準的な車にも、あらかた、マツダとして用意できている安全装置を実装できるようにしている。安全装置は高級車に限らない、という、その思想は、素晴らしい。ただ、ところどころイマイチなところが。このイマイチなところは、ホンダを除く、各社ともほぼ一緒なのだが。
たとえば、歩行者や何かしらにぶつかりそうになる時に、自動的に”ブツカル”ということを認識して、自動ブレーキシステムが作動するのだが、少しでもブレーキやアクセルやハンドルを操作してしまったら最後、自動システムが停止し、運転手の手動運転に戻ってしまうのだ。そのため、たとえば、ブレーキとアクセルを間違えて踏んでしまっても、同じく、アクセルの指示を採用し普通に加速してしまう。

「ブレーキとアクセルの踏み間違い機能」は、各社そこそこ実装しているのだが、起動タイミングがポイントで、止まっている時とか駐車場内などぐらいの低速移動中に限る、という条件がどのメーカーにもついているのだ。この機能によって、駐車場に止まっている車をコンビニに突っ込ませるという事故は防げるのである。
ただ、一方で、30kmとかを超える通常移動中に、ブレーキのつもりで間違えて、急にアクセルを踏み込んだら、普通に加速してしまうのである。

「たしかに、巡航時での踏み間違いには、対応できないのものの、高速道路に合流する時など、運転手の意向と異なり、急に変に止まっても逆に事故るので。」とか「もっとも良い形でチューニングしているのです。」と自信を持って言っていた。
もちろん「高速には乗らない」ということは想定されていない。このあたりが、普通であり、「偏り」を感じれない。

 
そして、各社のディーラーが、ある意味、バカにしていたのが、ホンダである。
あまりに各社のディーラーが、バカにするので、当初、ホンダには行くつもりがなかったのであるが、逆に興味を惹かれてホンダのディーラーにも見に行ったのである。

ホンダの車は、自動と手動の切り替えがイマイチ。というか、ともかくすぐに止まってしまう、ということ。
「ショッピングセンターの屋上などの駐車場へ行くための螺旋の道でも、センサーが間違えて反応して、止まってしまうんです。」
まさに探していたのは、そういう車。

話を聞く限り、最新のN-BOXがなかなかいいのだが、軽だから見送り。
次に普通車のフィットも、他社からの前評判通り、こちらの要件に即して、なかなか悪くないのだが、各種安全装置が前向きにしか対応していないという。つまり、車庫入れなど、バックで運転している最中の安全装置は何もなく、その点が残念。
ともかく、今のモデルは、やはり数年前のモデルであり古いということと、ちょうど今年の秋にフルリニューアルということで、結論としては、フィットのリニューアルを待とうということになった。

もう、ディーラー巡りは、面倒だし、やりたくない。全体的に、僕のニーズに対して、機能やセールスポイントを整理して、理解している営業マンにも、なかなか出会えないので、苦労が耐えない。できれば競合比較もしておいてもらいたいのに。ぜひ、秋のホンダの新フィットが、期待値通りになり、そして、早く、父上の今の数年前の車を買い替え、このタスクをコンプリートさせたい。

 

話は、最初に戻るが、
誰か、下記のような車を開発してください!

・このご時世とはいえ、まぁ、ガソリン車。
・いろいろ安全装置がついていていいのだが、ともかく、ぶつかりそうになったら、有無を言わさず止まる。
・車内安全性は重視しなくていい。そもそもぶつからないような取り回しを重視した小さい車。
・最高時速は60kmとかでいい。加速のパワーもヘタレでいい。
・エアバッグは義務化されているだろうから、ついていていいのだが、むしろ、インプレッサにあるような歩行者保護用エアバッグが欲しい。

進化を続ける世の中には、真の顧客ニーズに寄り添った「偏ったサービス」というのが不足している。
ガイアックスでも、いろいろなサービスや商品開発において、真の顧客ニーズに基づいて、偏ったサービスを作れるように、しっかりと「切り捨てるものは切り捨てる」という意識を持たねばならない。
このあたりのことは、「ブルーオーシャン」というビジネス本にも詳しく記載されていたし、「イノベーションのジレンマ」という観点でも、よく取り上げられるポイントである。
切り捨てなければ!

 

今、このブログは、新幹線に乗りながら書いているのだが、新幹線もそうだ。エアラインは、座席の快適性を追求し、新型機を投入してくるし、JR東海は、一秒でも早く目的地につくために、10兆円を掛けて、そして、地方自治体とハードなネゴシエーションをしながら、リニア中央新幹線を作りに行っている。

そんな投資ができるのであれば、この新幹線に、トンネルでも途切れない快適なWi-Fiと、各席に電源を設置して欲しい。おそらく、新幹線に乗る、7割を占めるビジネスマンは、その2つだけあれば、それで十分なはずだ。
僕に至っては、その2つが新幹線にしっかりと実装されれば、むしろ、もっと長時間乗っていてもいいと思う。美味しいコーヒーをつけてもらえたら、永久に乗っていたい。

偏ったサービス設計。

車を時々、乗らざるを得ない。でも、ある程度、お金に自由が効く、上田家の父上のために、誰か「らくらくカー」を作ってもらいたい。
もしも、開発・販売をしてくれたら、僕が責任を持って、タイムズカーシェアさんに、大阪府茨木市のステーションに設置してくださるように、リクエストを送るので!

 

働き方改革の末路

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。

この【A】と【B】が、両方、整っている場合は、非常に危険である。
簡単に言うと、出勤が自由なのである。

ガイアックスでは、裁量労働制をできる限り導入している。そして、リモートワークもOKである。会議に始まる瞬間まで、オフィスにいるのかいないのかも分からない。
東京にいる面接中の大学生とも、なぜかよくオンライン会議となる。間違えてオフィスにいらっしゃった大学生が1人でオフィスから、ガイアックスのメンバーにオンライン会議していた。シュールである。

もはや、まったく管理できないし、組織の手触りがなくなってくる。
年一回とかのチームごとの合宿やオフサイトミーティングで、「はじめまして」という挨拶が連発するようになる。

 

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。
【C】クラウドソーシングを自由に使っていい。活用しまくっている。

クラウドソーシングを使っていい。いいように聞こえるが、実は、従業員としての立場が脅かされる第一歩である。
まぁクラウドソーシングと略しているが、シェアリングエコノミーの各種プラットフォームを使えば、ありとあらゆる業務をソーシングできるのである。

ガイアックスでは、新人でも、ともかくクラウドソーシングもしくは何かしらのシェアリングエコノミーのプラットフォームを利用するように勧めている。誰であっても5万円までの発注は、稟議なしでの発注を可能とした。
「えっ!そんなに自由にクラウドソーシングを使っていいの?細かいお仕事全部頼んじゃお!」
喜ぶのは早い。

もはや、事業運営をしている立場からすると、出社してこない社員も、クラウドソーサーも、もはや違いがなくなってくるのである。
ランサーズでいうところの「#採用やめよう」の世界観である。
もはや、社員の給料のベンチマークとして、クラウドソーサーと比較され、その上で給料が決められていくのである。
働き方改革という名の元に、自由な働き方を社員さんのために、と思わせておいて、真に危機が迫ってくるのは、社員さんの方かもしれないのだ!

 

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。
【C】クラウドソーシングを自由に使っていい。活用しまくっている。
【D】副業解禁。

普通、副業の解禁を段階的に行っていく会社が多い。たしかにどういう影響が発生するかわからないから、慎重に様子を見ながら解禁していく、というのは、ある意味、正しい動きなのかもしれない。
ただ、もはや、少しでも副業を解禁しはじめた時点で、「賽は投げられた」のである。また、もはや「50歩100歩」なのである。全部、自由に解禁せざるをえなくなるし、もはや、しちゃってもしょうがないかと思うしか無いのだと思う。

ガイアックスはどうなのか?自由である。自由にした、のではなく、もともと、自由。みんな意識してなかった。僕も気がつけば、過去何回か、他の上場企業の社外取締役とかやってたし。昔のCFOの小高さんが、当時、Tokyo Otaku Modeの創業メンバーに入ってマスコミを賑わしていたし。今も、ADDressを起業した佐別当さん、一応、ガイアックス正社員との兼業状態だし。兼業起業家だ!

僕の秘書さんも、気がつけば、ガイアックスの人事と、ガイアックスのグループ会社の管理部と、どこか外の会社の新規事業と3つを兼任している。結果的に、僕の秘書業は抜けつつある状態で、秘書さんではなく、元秘書さんな感じ。

Nagatacho GRiDでイベントとかをしていると、終了確認に、別の部署の若手営業マンがやってきたりする。
「あれ?なんで、君が終了確認してるの?」
「これ、副業で、一回あたりGRiD事業部から5000円もらえるので!」
グループ内にも、副業が飛び交っているのだ。
もはや、1人に対して、1つの部署からお金を支払う、という感じではない。

 

この【A】【B】【C】が揃っているところに、副業を解禁する、ってことは、本当にヤバイ。
もしも僕が社員の立場だとすると、個人として、会社が副業を解禁してくれるのであれば、単純にすごく喜んでしまうのかもしれない。
しかし、それは、会社全体としての深い闇への第一歩なのかもしれないのである。本来、副業解禁日というのは、会社の滅亡カウントダウン開始日として、線香の1つでも上げるべき日だったのかもしれない。
あなたが副業をするかどうかは関係ない。組織が崩壊しはじめるという深い闇への第一歩である。

ある事業の責任者がこう言い出した。
「この開発案件、ひとりで1人月ぐらいだから、ガイアックスグループの仕事出来るエンジニアさん誰か作ってくれないかな。」
「開発事業部に発注するってこと?」
「いや。事業部じゃなくて個人に発注したい。」
「えっ。それマズくない?個人に直接?事業部を通さず?」
「でも、きっとガイアックスグループのエンジニアさんも副業しているかもしれないよ。僕らも日頃からクラウドソーシングというか、副業として受けている人に発注しているかもしれないよ。だったら、もはや、最初から副業でどう?って尋ねるのでいいんじゃない?」
「それって、社内で、『そっちの事業部でこの開発請けたらいくらかかるの?で、君個人で請けたらいくらなの?』って会話をするってこと?」
「そうだね。」
そのうち、客先でも、これ会社で受けるといくらですが、個人で受けるといくらです。とかって言い出しそう。怖い怖い。

ガイアックスグループとして、決して、儲けどころを逸するわけにはいかない。

早く、ガイアックスの周りで個人で仕事を受けている人が、もっと楽に仕事を受けれるように、請求書代行サービスとか、決済代行サービスを始めて手数料を稼いだ方がいいだろう。
それに、個人とかで受けちゃうと、万一、病気とかなったら、クライアントさんに迷惑が掛かっちゃうから、万一用の保険のサービスというか、代理メンバーアサインサービスとかも必要かもしれない。これで儲けるのも手だろう。
周りのメンバーの良し悪しが、すぐに見て分かるように、レビューをまとめて、星4つとかって、HPでアップしていってもいいかもしれない。
より個人が仕事を受注できるように、個人をピックアップして、HPで紹介していったほうがいいのかもしれない。

なるほど、働き方改革って、簡単にいうと、シェアリングエコノミーのことだったんだー。
あー。会社の外と中からシェアリングエコノミーになっていく。
こうやって、世界はシェアリングエコノミーになっていく。

 

ティール組織における、資本主義社会の光と闇と

最近、よく「ガイアックスってティール組織じゃね?」と言われる。
僕的には、ガイアックスは残念ながら、すでにもはや組織ではなく、コミュニティかなと思っているので、その点が違う。

言わば、「お前の会社って、もしかして、糞じゃね?」って、よく言ってもらっているのだが、「すみません。すでに堆肥に変わっているようです。」という感じ。

まぁとはいえ、ティール組織とも言えなくはない状態の中で、ティール組織を成立させる上で大切だと思うこと、ポイントだと思うことをいくつか書いておきたい。

 

●資本主義社会の活用

会社は普通、社長が居て、ヒエラルキーがあって、権限があり、それでコントロールされている。そのため、仕事が出来る人であればあるほど、もしくは、効率的に組織をマネージできる人であればあるほど、「ティール組織なんて成り立たないだろう」という考えを持っているケースが多い。
結局、自由があるとか、権限を渡すとかって言っても、最後、何かしらで承認システムを作らないといけないのでは?最後、何かしらで意思決定をしないといけないのでは?と考えていらっしゃる。

僕は、そうは思わない。
ティール組織は、十分にありえる。

「今、研究されつつある、もしかしたら、存在可能なのかもしれない物体」という最先端のものという感じでもなく、昔から、当たり前にありえる常識的なシステムだと思っている。

ティール組織とも言える2つの事例を紹介したい。
1つは、自然界である。
そして、もう1つは、経済界である。

弱肉強食の自然界と、弱肉強食である資本主義の経済界は類似点が多い。
自然社会、そう、ガイアでは、一つ一つの生命体が自由に飛び回り、エネルギに満ち溢れていて、すぐに姿形が変わって、進化論のとおり、進化と絶滅が繰り広げられていく。でも、だからこそ、そこに生きようとするエネルギーが溢れているのである。一歩下がって地球を見てみると、ガイアは調和が取れていて、青く、そしてすごく美しい。
日本の経済社会全体も同様に、一つ一つの会社が自由に飛び回っている。だからこそ、エネルギーに満ち溢れていて、新しいイノベーションが出てくるのである。大切なのは、許認可や規制や秩序ではない。自由や競争なのである。その結果として、パワフルな国家に仕上がっているわけなのである。

会社法人の単位で見ると、たしかに組織立っていて、社長がいて、軍隊型だったり、達成型だったり、先進的で心優しいところは家族型だったりしている。しかし、その会社の集合体である日本の経済社会は、ティール型であり、意思決定が分散しているのである。そして、経済社会からは常に力強い生命の息吹を感じることができるのである。
僕は、世耕経済産業大臣のことを尊敬しているが、日本の経営者や街の商売人は、世耕大臣の見通しや方針に対して、盲目的に、上意下達的に「ミギニナラエ」をしているわけではない。世耕大臣のおっしゃることに対して「それってほんまに儲かりまっか?」である。各自が、勝手に政策インパクトを見通し、勝手に意思決定をするのである。ヒエラルキーも、指示命令系統も、承認もない。

ガイアックスでも、社長の立場や上層部の承認やヒエラルキーでコントロールされているわけではなく、そこら中に資本主義社会が行き届いている。
そのため、実はガイアックスは、家族型な温かい会社でもない。ティール組織というのは、家族経営のような優しさ溢れる組織ではない。弱肉強食の熱さとエネルギー溢れる組織なのだ。

 

・ユニット単位に資本主義社会が行き届いている

ユニットごとに、PLを持っている。持っているが故に、独自で判断をしている。
つまり予算を組んで、そして毎月月次で実績を流し込んでいるが、それだけでなく、リアルタイムで「フォアキャスト(予想)」を更新できるシステムも組んでいる。
予定より人を採用したり、案件をロストしたりする際に、会計からくる実績を待たずに、当初作っていた予算の項目を更新することで、PL全体や、年度末着地が更新されるというシステムだ。フォアキャストを眺めていると、みんなが毎日コロコロ変更しているので、年度末着地の予想の営業利益とかが、株価のように上下動しつづけている感じが見て取れる。
社内やグループ取引をしてもらいたいが、それもそもそも自由だし、価格や品質次第で、外部とも取引している。PLを持つことで、権限と責任を行き渡らせているのだ。

行き届いているのは、ユニットごとのPLの管理システムだけじゃない。

グループ会社は、すべからず、その経営陣とそのメンバーがその会社の株式かオプションを持っている。持っているが故に、本気で独自で判断してくる。
ガイアックスグループの代表の僕が、「ガイアックスグループとして、シェアリングエコノミーを中心に事業展開をしていく。」と高らかに宣言しても、僕の方を見て、首を傾げて、「それって、儲かりまっか?」という反応である。
まぁ各グループ会社の立場として、「僕ら経営陣の持っているこの株式の価値って、その方針で最大化されますか?保証はあるのですか?」って思うことは、もっともである。
実は、もっと言えば、ガイアックスが一定比率の持ち株比率を持っている会社のことを簡易的にグループ会社と言ってはいるが、悲しいことに、多くのケースで各社に対して、ガイアックスとしての議決権を放棄するという合意書を差し入れている。結果、会計上の連結子会社でもなくなっちゃっていて、より、各会社の経営陣の皆様が自由にスピーディに意思決定をしている今日この頃なのである。

ガイアックスの立場で、議決権があると良いのか、承認権があると良いのか。まぁそんなわけはない。そんなことが重要なわけがない。各ユニットのど真ん中に熱さこそが必要なのだ。
会計上の連結であることが重要なのか?いや違う。熱さからくる事業の力強い伸長が重要であって、実際に儲かることが重要なのだ。

 

・個人に資本主義社会が行き届いている

資本主義は、ユニット単位にだけではない。個人にも行き届いている。
個人の給料は個人で決める形となっている。
各自が長期的な計画と短期的な計画とを持ちながら、どういうアウトプットを出すのか、と、その時の報酬額について、予め宣言している。
常に自分で「この仕事でいくらもらうべきか」ということを考えながら、設計をしている。

給料テーブルが全社に用意されていて、それに基づいて報酬が決まるわけではない。一人ひとりが給料を決める以上、一人ひとりに給料テーブルがあるわけだ。

(もっとも、お金や給料に興味がない人が多いし、ガイアックスグループの多くのメンバーが、何らかの形で株式を持っているので、お金に興味がある人もちゃんと考えると、給料には興味がなくなるのだが。もはや、僕たちは社会人であり、小学生でもないので、「お金持ちになる」には、現実的には、株しか無いということは、誰もが知っている。本日時点の「世のお金持ち」の皆様は、すべからず、株の力を使ってお金持ちになっている、なんてこと、誰もが知っている。)

 

またそもそも、副業というか他の仕事と、ガイアックスグループに対する仕事との投下工数をどのぐらいにするのかから、自分で考え設定している。
フルコミットで働く人もいれば、週一の正社員だっている。時期によって働き方を変える人すらもいる。

働くといっても、ちゃんとまじめに働くふりをしているだけで、新卒からして自分の仕事を自由にクラウドソーシングなど外部発注を活用しまくってこなしている。
そして、ガイアックスのグループ内でも副業の受発注OKなので、事業部が他の部署の正社員にも、直接取引な業務発注をしてしまっている。
社員に、その所属部署を通さず、仕事を発注しちゃっているのだ。今、流行りつつある「闇営業」である。

つまり、副業としてグループ外から直接的に報酬をもらっているケースも増えてきているのに併せて、グループ内に私に給料を払っている人(現世で言うところの「上司」と呼ばれる人なのかもしれない)が1名じゃないケースが増えてきているのだ。
給料テーブルも、ややこしい業務になればなるほど、結局予め、自分で決めているのだが。

自分の意思決定で、リターンを上げることができる。
上司とか権限というものが悲しすぎるぐらいプアな存在なので、グループ内で「上司にご機嫌伺い」的な雰囲気はまったくない。
イケてない事業には、人が寄ってこず、イケている事業に、人が集まってくる。
自由でイノベーティブで熱量ある動きを、皆さん、目指される。

資本主義社会の仕組みに立脚することで、軍隊型でも、達成型でも、家族型でもなく、ティール型の組織になれるのである。

 

●資本主義社会の価値観が脳みそを溶かしてしまう

一方で、「資本主義」というものは、クリティカルにダメなところをたくさん持っている。
資本主義社会の作り出す価値観が、僕たちの脳みそを溶かしてしまい、僕たちを、バカで、カスで、終わってるヤツにしてしまうのだ。
資本主義社会は、本当に恐ろしい。間違いなく、今、人類最大の敵である。
エネルギッシュで、狡猾で、どこにでも潜り込んできて、ウォーキングデッドのように次々と感染者を増大させていく。
まじでトドメを刺してしまいたい。

資本主義社会のせいで、僕たちの脳みそは溶かされてしまって、狂わされてしまっている。

僕たちは、金持ちがエライと思うようになってしまう。
金持ちになりたいと思わされてしまう。
詐欺をする人が、本当に世の中に出てきてしまう。
ブランド品など高いものに憧れを持つようになり、所持したいと思わされてしまう。
みんなでシェアすればいいのに、一人ひとりで所有したいと思ってしまう。
なんと、店員よりも、お金を払う客の方が上だという明らかに間違った常識が溢れている。
僕が金を払えば、店員や周りはヘイコラするものだと思ってしまう。
働くひとの立場で、報酬をより多く獲得すべく、積極的にヘイコラしてしまう。
価値あるもの、ではなく、売れるもの、を作ろうとする。
化学調味料を目立たないように、でも、たくさん使ったものが、実際に世に溢れている。

こんな腐った価値観に、骨の髄まで侵されてしまった人たちがいればいるほど、
組織の中に、お金に対して、こだわりを持つ人がいればいるほど、
ティール組織を目指すことの難易度が上がっていく。
働いている人全員が、「資本主義」や「物質主義」や「贅沢をしたいということ」や「過度な報酬を得たいということ」について、無関心であること。これが重要なのである。

 

昔、大学生の時代、営業会社で働いていた頃を思い出す。
成績を上げると、なんと、椅子が立派になるのだ。リクライニングができる椅子になるのである。
そしてもっと成績を上げると、なんと肘掛けがついている椅子に座れるようになるのである。
もちろん、支店長は個室を持っていた。
今思うと、営業で攻め攻めの会社だったので、大阪梅田の中でもかなりきれいで立派なオフィスに入居していたなぁって思う。
(比べると、なんて、NagatachoGRiDって、雑すぎるんだろう。古さ満点だし。)

業績を上げると給料が上がるのであるが、びっくりすることに、みんなが自分のもらえる給料に意識をフォーカスさせていた。
給料が下がると悲しみ、給料が上がると喜ぶのだ。
周りの給料が、自分よりも高いと妬み、低いと嬉しがって喜んでいるのだ。
高い給料になって、自慢げにブランドのスーツを買っていた。

僕が、達成型の組織でマネージメントをしていくのであれば、当然であるが、こういう感じで、実績評価をするし、成果報酬にするだろう。
成果報酬にするだけでなく、その報酬額に全社員の意識が行くようにコントロールしていくだろう。
個々人の生きがいやライフプランなんてコントロールしにくいものではなく、より組織として、マネジメントやコントロールをしやすいように「がんばって報酬を上げたいな。」と思わせるに決まっている。社員さんが贅沢をしたがる状態というのは、まさに組織運営者としては、きっちりと術中にはめている、と自慢できると言っても過言ではない。

社員さんから、他の人に比べて給料が低いとか、不公平だっていうクレームが来たりする。
組織のマネージャとしては、その不満に対してケアをしなければならないのではあるが。とはいえ、そんな給料なんていう、本来その人自身の人生において、マジでどうでもいいことに注目をしちゃっていて、不満を持っちゃっている時点で、組織運営者としては勝負に勝っているようなものである。

家族的な組織で見た場合であっても、なぜ平等でないのか、もしくは少なくとも、公平な評価ではないのだ、という話になる。
僕の感覚で言えば、組織の中において平等や公平であることなんて、まったく重要ではない。

同期と同じアウトプットを出して、報酬が違うということについて、仮に文句を言いたいのであれば、ぜひ、向かいのビルに入っているあの大手企業のあの同じ学歴の同い年の彼との報酬や待遇の違いについても文句を言ってもらいたい。
ぜひ、同じ学歴で、能力差がきっと1.5倍もないのにも関わらず、若くして会社をバイアウトして資産が1000倍違う彼との報酬の違いについて文句を言ってもらいたい。
「同じクラスの花子ちゃんは買ってもらってたヌイグルミ、私も欲しいよ!欲しいよ!」じゃないんだから、同僚や知り合いを特別視するのではなく、世の中の人、つまり赤の他人も同様に見てもらいたいのだ。そのレベルで思考を働かせてもらいたい。

僕も、他の会社の社長との報酬差について、文句を言っていいのですかね!
そんなことを意識したこと無いし、見比べて不満を感じるなんてバカなことを思いついたこともない。僕自身がアホらしくてしてないことを、ガイアックスのメンバーにお薦めするなんて変なことは、決してできない。

資本主義社会に侵されてしまうことで、ミッションや、一人ひとりの価値観やライフプランを大切にするようなティールな組織にはなるのは難しい。
その行き先は、達成型の組織まっしぐらになってしまうのだ。その考え方のせいで、管理者に操られるようになるのだ。もしくは、管理者が操らなければならないようになるのである。
平等を過度に大切にしても意味がない。それはそれで、家族型の組織まっしぐらになってしまう。
大切なのは、資本主義社会の臭い香りを、うちわで扇いで遠くのどこかに追いやること、なのである。

 

読み返してみると、全部、資本主義の話。
ピュアにティール組織の話のつもりだったのに。
相変わらず、上田は、資本主義が好きで好きでたまらないようだ。ツンデレというか。可愛さ余って憎さ百倍というか。

ティール組織を作るには、現時点ではマイクロなレベルにまで、資本の枠組みや、商取引をフル活用するのが良いと考えている。そして、ガイアックスでは、それはそれでそれに倒しまくっている。
でも、資本主義はあまりに弊害が多すぎて、怖い悪魔が潜んじゃっているので、気を緩めると、自分たち自身の脳を溶かされてしまう。

だからこそ本来は、組織内において資本の取引ではなく、「思い」や「夢」や「ミッション」で、それの重さや熱さで取引すべきなのだ。
そのほうがピュアで、パワフルで、弊害がなくて、より正しいはずなのである。
僕たちは、資本主義社会を活用しつつも、そういう組織を作りにいっているし、本来はもっとピュアにそういう仕組みに倒していきたい。

 

こう考えると、自然界、ガイアにおける商取引のお作法、つまり、命をいただく、命を差し出す、で成り立っているシステムに、本当に神聖さを感じる。

クアラルンプールで、いろいろと子どもたちに腹が立つ

姉ノアちゃん7歳と、弟リョウくん5歳。子どもたち2人と、ママと僕。つい先日、8月に、僕は夏休みを取って、4人でマレーシアのクアラルンプールに1週間行ってきた。
前々から、子どもたちの英語力向上のためにも、親子留学、子どもたちとママの3人で、が、いいのでは、って話をしていて、一時その話しも中断していたけれど、改めて検討しはじめた。
やっぱり、いろいろ子どもたちの将来のこととか話していると、英語力も大切だけどそれに加えて、多種多様な文化に小さいうちから触れておくってことが大切じゃないかっていうことになり。まずはとりあえず、現地の学校や環境を下見に行こうという話になって、今回旅行に行ってきた次第だ。

 

●マレーシアのリゾート、ペナン島で出会った家族

マレーシアに行くにあたって、せっかくなのでリゾートにも少し立ち寄ることにした。で、ペナン島。ランカウイ島と並ぶ、有名マリンリゾート地だ。ダイビングの免許も持っているしサーフィンもやり始めている僕からすると、憧れの地でもある。

が、しかし、子どもたちは、残念ながらプールが一番好きであった。
ペナン島まで来たにも関わらず、ずっとホテルのプールに行きたがる。
到着2日目、3日目になっても、朝から「早くプールに行きたい!早くプールに行きたい!」と連呼してくる。
海にも全然行かないし、魚も見に行かないし。夕方になってプールから出てくると、外にお出かけに行くのではなく、ホテル併設の子ども向けのプレイランドで遊び始める。カラフルなプラスチックでできた、ボールプールや滑り台がある奴だ。
これって、日本中のそこらに乱立するボーネルンドのキドキドでよくね?っていうか、キドキドの方がクオリティ高くね?
わざわざ、エア(といっても、AirAsiaの格安便なのだが)を乗り継いで、ペナン島まで来たのに。この子どもたちは!

プールで、ちょうど子どもたちと近い年齢の女の子が居た。お互い、同じぐらいの年齢の日本人の子が居たものだから、見つけた瞬間嬉しがって、一瞬で仲良しになる。子どもたちが一緒になって遊んでいるから、親同士も自然と会話をするようになる。いわば、公園のママ友みたいな感じだ。

その女の子の家族は、すごく良さげな雰囲気の家族。優しそうなパパさんとママさん。きっとしっかりとしたお仕事をされているんだろう。ご家族3人ともすごく仲良しで、そして、夏休みに幼稚園児のその女の子を連れて、ペナン島まで来ているなんて。話を聞くと、毎年、いろいろなところに行っているみたい。
なんと偶然、パパさんも僕と同じ大阪茨木市出身。奇しくも隣の小学校だった。
今はどちらにお住まいなんですか?なんて聞かれて、「僕は東京、ママと子どもたちは、福岡です。」って答えると、向こうにもこちらが良さげな家族のように見えるのか、「単身赴任なんですね!大変ですね!今日は、家族一緒でいいですね!」って。説明がややこしいから、そのまま、単身赴任。
深入りされても回答に窮するので、極力その話題を避け、近隣のレストランやホテルの事情、パラセーリングなどのアクティビティの価格事情(交渉次第で値段があってないようなものだから)などの情報交換の話をした。

子どもたちは、その女の子とプールではしゃぎまくっている。
そのうち、中東系な感じの同じ年齢ぐらいの子どもも輪に入ってきて、みんなで潜ったりジャンプしたり、潜ったりジャンプしたり。エンドレスにまるで機械のように繰り返している。
中東系の子とは、会話が通じないんだけど、全く問題ないみたい。通じてないのに関わらず、お互いの言葉で話している。

こっちは大人だから、もういい加減、寒いんだけど。飽きない子どもたちだ。

 

●クアラルンプールでの学校の視察

4日目に、クアラルンプールに戻って今回の旅のメイン、学校の視察に行った。あと実際の生活環境ってどういう感じかなって、いろいろウロチョロもした。

イオンがかなり普及していた。いわゆるショッピングセンターのサイズのイオンだ。
これなら、生活ができる。ほとんど日本と同じ。日本の調味料とかも倍ぐらいの価格はするが、一通り百貨店などで揃っている。
もはや、マレーシア、現地の購買力が高すぎ。あまり日本に比べて安いという感じはしなかった。特に福岡と比べると、下手すると福岡の方が安いのではないか。配車アプリのGrabがインドネシアマーケットに2000億円の投資をする、とかってニュース流れてたけど、この国力なら納得できる。やっぱり人口も多いし。
せっかくなので、Airbnbで現地のマンションに泊まることにした。現地のマンションって言っても高級な部類だとは思うが、もはや中に入ると日本のマンションと何ら変わらない。

一方で道を歩くと、中東な雰囲気の人も多いし、中国な感じの人も多い。宗教もいろいろありそうである。
見学しにいった学校では、欧米系の方も多いし、アフリカ系な感じの方も多かった。これならたしかに、グローバルな交流はできるのだろう。なかなか満足できる環境ではある。

ただ、4人で街中を歩いていると、リョウくんは、目を離すとすぐにどこかに走り去る。全く言うことを聞かない。元気な5歳の男の子なので、もはやしょうがない。がしかし、異国、しかもマレーシア。人がゴタゴタしていて、この環境下で実際親子留学をするとなると、僕も時々、こちらに来ては2週間ぐらいとか滞在するつもりではあったが、それ以外の期間、ママ1人で2人の子どもたちの面倒を見るのは大変だと思う。結果、二人での会話としては、やっぱりリョウくんが小学校2年生ぐらいになるまでは、ちょっと難しいかな、っていう感じだった。
ただ、まぁマレーシアという国の雰囲気とか、日頃の生活イメージや学校がどんな感じなのかってことをだいたい掴めたのは良かったと思う。

 

●クアラルンプールの雑踏の屋台での物売り

夜には、せっかくなので、クアラルンプールの名物の屋台の並ぶストリートに行った。500mぐらいの長い距離に渡って、しかも横幅が広い通りに、所狭しと食べ物やフルーツやお土産物の屋台がならんで、人がゴタゴタ殺到している。かなりたくさんの人。そこら中から漂うドリアンの匂い。ノアちゃんは、ずっと鼻をつまんでいる。臭いんだろうな。1時間経ってもずっと鼻をつまんでいた。

旅行雑誌などで取り上げられている、偽ミッキーマウスのロゴがトレードマークの屋台に入って、手羽先や串焼きなどを頼むことにした。
いろいろ怖いから、ペットボトルのジュースを頼んだつもりなのだが、残念ながらコップに入った状態で出てくる。しかも、氷の入った状態で。怖がりの僕は、食べ物もちょっとびっくりおっかな。
そんな状態なのに、周りはずっと人にあふれて、ゴタゴタしっぱなし。かばんとかもスられやしないかと気になるし、食べてる最中にも、ピカピカ光るおもちゃを両手に持った物売りとかもやってきて、話しているのに割り込んでこちらに売りつけようとする。普通に屋台なお店で座って食べてるのに、売り込んでくるなんて、なんて根性なんだ。綺麗な店に並んでいるモノですら、信頼できないのに、売り子が売り歩いているものなんて、絶対信用できない。すぐに追い払うものの、そういういろいろがあって、食べるのにも集中できない。

 

僕は、10年前に結婚して、そして2年前に別居になって、それから約2年が経つが、この6月末に離婚の手続きが完了した。
プライベートなことなので、皆さんには、特に報告していないのだが、このブログにて、報告をすることとする。

巡りに巡って、結局、子どもたちの親権者は、ノアちゃんもリョウくんも僕になり、また、彼女曰くお金も特に要らないし、お金の合意も要らないとのこと。普通に僕が子どもたちに必要なお金の負担を、普通にしていってね、というだけで。
子どもたちは、まだ小さいので、引き続き彼女の元で育ててもらうが、好きな時に好きなだけ会えるし、子どもたちが自分でいろいろ判断できるようになったり、自分で飛行機とか乗れるようになったら、子どもたちが好きなように適当にどちらかの家に行く感じになる。
この2年間、二人の間に向こうの弁護士が入っていたタイミングの話しと全く違って、この6月になって、急にこんなすごく優しい決断をしてくれた。2年間、すごくしんどかった毎日が嘘のよう。あまりに嬉しすぎて初めは信じられなかった。でも、実際そうなって、本当に幸せ。彼女の今回のこの決断には、すごく感謝している。
彼女は僕が子どもと会うときには、長崎のアイランドルミナとかの面白そうな場所へ行く時とか、その他気が向いた時とかは一緒に来るし、仕事とか何かプライベートの予定とかがあると、最後の日の夕食ぐらいを一緒に食べる感じ。

彼女は、学生時代、カンボジアのNGOで1年間働いてただけあって、クアラルンプールの雑踏の中でも、別に普通な感じで、屋台の串焼きや飲み物を臆せず平気で、ニコニコ笑いながら食べてて、すごく素敵な感じ。

 

食べ終わって、落ち着くと、ノアちゃんが、わがままを言い始める。「あのさっきのピカピカ光るおもちゃが欲しい。」
マジカ。誓って、絶対にまがい物だぞ。

そう思いつつも、結局、4人で、あの売り子を探すことに。

なぜ、クアラルンプールの雑踏で、まがい物を売っているいかがわしい売り子を4人がかりで血眼になって探しているのだろう。騙してくるだろうな、な、怪しい売り子を自ら探すという、はじめての経験をする。おそらく、この屋台ストリート広しと言えども、そんな人はいないだろう。負けた感でいっぱいである。

 

●道の真ん中でカラオケを歌っている人

屋台の通りの雑踏の中、体にハンディキャップのある人が、大音量でカラオケを歌っている。足元には、お金を入れる用の皿が置いている。
なんとも言えない。

両腕が、事故かな、病気かな、肩のすぐ下からすごく細くなって、10cmぐらいの長さしかない。
リョウくんが、彼のことを指差して、腕が変だよって言ってて、ノアちゃんが、リョウくん、指差したらだめ!失礼でしょ!と言いつつ、ギョロギョロずっと見ているお前も失礼だろうと思いつつ、往来のど真ん中で大音量でカラオケを歌っている人に注目をすることが、そもそも失礼なのかと思いつつ、パパ、あの人どうしたの?何してるの?って聞かれて、どう答えたらいいか、悩んでしまう。

いろいろ苦労されているんだろうな。苦労されていることを目立つ形にすることで、お金をもらえて生活ができているんだろうな。いやいや、彼がこんなことをしなくても、もっと自然に脳と脳がつながる感じになって、自然に助け合えるような社会になればいいなと思うんだけど。目の当たりにしたくないことを目のあたりにすることで、いろいろと考えさせられてしまう。
でも、このシチュエーションについて、彼が一体なんなのか、子どもたちになんて説明をしたらいいのか、本当に難しい。

 

そういえば、離婚の手続きが完了したときに、最初に思ったことは、子どもたちに離婚の説明をどういう形でしたらいいのか、だった。すごく悩んだ。
彼女と事前に打合せをしたほうがいいのかな。子どもたちにはある年齢になるまで伏せてたほうがいいのかな。ノアちゃんのこともリョウくんのことも大好きだよって伝えなきゃ。どうしようどうしよう、と思いつつ、僕の中で結論が出ないまま、子どもたちと遊ぶ日を迎えてしまった。

子どもたちと会って、車でお出かけ。助手席に彼女が座って、後部座席に、ノアちゃんとリョウくん。
子どもたちに会うときは、最初に、学校の様子を聞くことにしている。
「ノアちゃん、あの仲良しの1つ年上の男の子とは、最近どうなの?いつも、お昼休みに中庭でデートしてるの?」
「ううん。最近はしてない。もうあの子とは離婚したんだ。」

えっ。離婚?子どもが離婚って言ってる?
さっき、ノアちゃんが間違いなく「離婚をしたんだ」って言ったよな。

「離婚?なにそれ?絶交のこと?絶交でしょ?」
「絶交じゃないよ。絶交は、もう二度と話をしないってことでしょ?絶交はしてないよ。離婚だよ。これからも別に話しをしないわけじゃないし。」
「なるほど・・・。」

離婚って子どもたちの中でどんな定義なんだ?って思いつつ、隣の彼女を見ると、どうやら、離婚のことはもう話したみたい。まぁ彼女は、毎日一緒に暮らしているしね。彼女は子どもたちになんて説明したんだろう、と思いつつ、そのことよりともかく、正直言って、子どもたちにどう説明するべきなんだろうって、ずっと悩んでいたのが、その問題自体がすでに終わってしまっていることを理解し、肩の荷が降りてホッとした。

 

●Doraの実写版の映画

クアラルンプールでは、Doraの実写版の映画が上映されていた。道端のDoraの看板を見て、子どもたちが見たい!とのこと。
Doraというのは、南米のスペイン語圏向けの英語学習とかにも使われるようなマンガ作品だ。日本では全く知名度がないが、位置づけ的にはセサミ・ストリートみたいな感じと思ってもらったら良いかなと。主人公は、Doraという7歳の女の子。スペイン語圏向けなので、挨拶は、オラ!
ノアちゃんには、小さい頃から英語の勉強用にDoraのマンガとかを渡してたらから、Doraが大好き。わざわざ旅行中に映画を見に行く必要も無いのだが、Doraの実写版、きっと日本では永久に上映されないだろうなので、せっかくなので見に行った。イオンの中のシネマコンプレックス。システムとか日本と一緒。で、このDoraの映画は、音声が英語、字幕が中国語とマレー語。

子どもたちには、日本でもいつもアニメを見るときは、日本語ではなく英語音声だけにしているから、基本的には特に抵抗感も無いのだろう。だからこその、次のステップの親子留学なのだ。実際、ノアちゃんは上映中食い入るように見ていて、でもリョウくんはちょっと難しいのか、ママに甘えっぱなし。ママ、、彼女は、楽勝そうだが、彼女と違って、僕は、残念ながら、なんちゃってのTOEIC800点台なので、子ども向け映画とはいえなかなか中身を理解するのが難しい。精神を集中してストーリーに食らいついていく。

最後の場面、映画のクライマックスの後のところのシーン、日本人は誰もこの映画見ないだろうから、ネタバレでちょっと紹介すると、

——
映画の最初、17歳になったDoraが冒険家の親と一緒に冒険に行きたがっていたのだが、親は危険だからって許さない。親が冒険に行く間、Doraはアメリカの学校に留学することとなる。
で、最後のシーンでは、探検に巻き込まれたDoraの活躍にびっくりし、そして安心した両親が、これからは家族で一緒に冒険に行こう、って話すのだが、Doraは探検で絆が深まった友達たちのいるアメリカの学校に戻るという。両親はそれを聞いて、「それはいい!がんばって勉強しておいで!」って笑顔で送り出すのだが、Doraが席を立って見えなくなった瞬間に二人して、Doraが親離れしちゃったものだから、悲しくて悲しくて号位しちゃう。それでエンドロール。
——

分かるー。
まだ親離れするような年齢じゃないから、厳密には、分からないけどー。

このシーン、シチュエーションは違うものの、この2年間、全然子どもたちに会うことができなくて、すごく悲しかったことを思い出して、でも、時々子どもたちに会えた時は、子どもたちの前では、笑顔でいてて。
つい、もらい泣きしてしまった。

彼女も子どもたちのことが大好きだけど、僕も子どもたちのことが大好きだ。僕の人生で、やっぱり子どもたちが一番大切だ。
本当に子どもたちのことが好きだ。旅行中も、寝ている顔ですら、ずっと見ていて幸せしか感じない。
ノアちゃんは、本当に優しい子で、いつでも周りの人の気遣いをする。そんなに気遣いしちゃうとノアちゃん自身が大変だよって心配になるぐらい。すごく優しい子。何回も僕に手紙をくれる。宿題とか英語の勉強も決めたことをちゃんと真面目にやれる子。大好き。
リョウくんは、僕にそっくりで理数系男子。算数が大好き。暇なときに算数をする?って誘うと、目をキラキラさせて、僕と二人で一緒になって、足し算とか引き算をする。すでに年中さんにして、小2のノアちゃんの宿題とかを代わりに解けちゃうぐらい。集中力の高さといい、すごく才能を感じる。大好き。

6月以降は、自由に会えるようになって、何度も会うようにしているが、子どもたちと一緒に過ごせる時間が幸せすぎる。
2年前以前の、家族がみんな一緒に生活していたころ、子どもたちがいる時間、一瞬一瞬が、こんなに大切な時間だなんて、当時は全くわからなかった。会えなかった期間を経て、今は一瞬一瞬にすごく感謝するようになった。ノアちゃん、リョウくん、ありがとうって本当に思う。生きているという実感を感じさせてくれる。

 

でも、だからこそ、仕事も大切なのだと感じる。
グループの代表として、家族のために働きに来てくださってる多くの社員の皆さんに、しっかりと生きがいと共に、ちゃんと安心して生活ができるようにしていかないと。ともかく、会社をしっかりとしないと。
昔、ノアちゃんが産まれた時に、彼女とは話しをしたんだけど、大災害とか大地震とか、何かあった時には、だからこそ子どもたちのことは彼女に任せて、僕は会社に行くねって伝えた。改めて、個人として、子どもたちとの時間の大切さを感じるからこそ、会社やお仕事が真剣に大切に思える。

ノアちゃん、リョウくん、大好きだよ。
映画が終わってから、ノアちゃんに、英語、ちゃんと理解できた?どのぐらい理解できた?って聞いたら、「ほとんど全く理解できなかった」って。あれ?あれれ??

 

●行かないって言ってるのに、ずっとプールに行きたがる子どもたちに腹が立つ

子どもたち2人は、クアラルンプールに来てから、せっかくのマレーシアの観光地に行くのではなく、早くプールに行きたい!早くプールに行きたい!って2人してずっと連呼している。

そもそもペナン島はさておき、プールに行くつもりはない。今回は、学校や生活環境の下見がメインなのだ。映画には行ったけど。
プールには行かないよって、ちゃんと言ってるのに、この2人は何をそんなに言ってるのだ。あまりにも言ってくるので、ちょっとこっちも腹が立ってくる。

本当にノアちゃんもリョウくんも全然話が通じねーな、と思いながら、よくよく二人の話を聞くと、この二人、二人してクアラルンプールのこと、「プール」だと思っていた。

それは、話が噛み合わないや。