働き方改革の末路

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。

この【A】と【B】が、両方、整っている場合は、非常に危険である。
簡単に言うと、出勤が自由なのである。

ガイアックスでは、裁量労働制をできる限り導入している。そして、リモートワークもOKである。会議に始まる瞬間まで、オフィスにいるのかいないのかも分からない。
東京にいる面接中の大学生とも、なぜかよくオンライン会議となる。間違えてオフィスにいらっしゃった大学生が1人でオフィスから、ガイアックスのメンバーにオンライン会議していた。シュールである。

もはや、まったく管理できないし、組織の手触りがなくなってくる。
年一回とかのチームごとの合宿やオフサイトミーティングで、「はじめまして」という挨拶が連発するようになる。

 

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。
【C】クラウドソーシングを自由に使っていい。活用しまくっている。

クラウドソーシングを使っていい。いいように聞こえるが、実は、従業員としての立場が脅かされる第一歩である。
まぁクラウドソーシングと略しているが、シェアリングエコノミーの各種プラットフォームを使えば、ありとあらゆる業務をソーシングできるのである。

ガイアックスでは、新人でも、ともかくクラウドソーシングもしくは何かしらのシェアリングエコノミーのプラットフォームを利用するように勧めている。誰であっても5万円までの発注は、稟議なしでの発注を可能とした。
「えっ!そんなに自由にクラウドソーシングを使っていいの?細かいお仕事全部頼んじゃお!」
喜ぶのは早い。

もはや、事業運営をしている立場からすると、出社してこない社員も、クラウドソーサーも、もはや違いがなくなってくるのである。
ランサーズでいうところの「#採用やめよう」の世界観である。
もはや、社員の給料のベンチマークとして、クラウドソーサーと比較され、その上で給料が決められていくのである。
働き方改革という名の元に、自由な働き方を社員さんのために、と思わせておいて、真に危機が迫ってくるのは、社員さんの方かもしれないのだ!

 

【A】裁量労働制になっている。
【B】リモートワークを自由にしていい。
【C】クラウドソーシングを自由に使っていい。活用しまくっている。
【D】副業解禁。

普通、副業の解禁を段階的に行っていく会社が多い。たしかにどういう影響が発生するかわからないから、慎重に様子を見ながら解禁していく、というのは、ある意味、正しい動きなのかもしれない。
ただ、もはや、少しでも副業を解禁しはじめた時点で、「賽は投げられた」のである。また、もはや「50歩100歩」なのである。全部、自由に解禁せざるをえなくなるし、もはや、しちゃってもしょうがないかと思うしか無いのだと思う。

ガイアックスはどうなのか?自由である。自由にした、のではなく、もともと、自由。みんな意識してなかった。僕も気がつけば、過去何回か、他の上場企業の社外取締役とかやってたし。昔のCFOの小高さんが、当時、Tokyo Otaku Modeの創業メンバーに入ってマスコミを賑わしていたし。今も、ADDressを起業した佐別当さん、一応、ガイアックス正社員との兼業状態だし。兼業起業家だ!

僕の秘書さんも、気がつけば、ガイアックスの人事と、ガイアックスのグループ会社の管理部と、どこか外の会社の新規事業と3つを兼任している。結果的に、僕の秘書業は抜けつつある状態で、秘書さんではなく、元秘書さんな感じ。

Nagatacho GRiDでイベントとかをしていると、終了確認に、別の部署の若手営業マンがやってきたりする。
「あれ?なんで、君が終了確認してるの?」
「これ、副業で、一回あたりGRiD事業部から5000円もらえるので!」
グループ内にも、副業が飛び交っているのだ。
もはや、1人に対して、1つの部署からお金を支払う、という感じではない。

 

この【A】【B】【C】が揃っているところに、副業を解禁する、ってことは、本当にヤバイ。
もしも僕が社員の立場だとすると、個人として、会社が副業を解禁してくれるのであれば、単純にすごく喜んでしまうのかもしれない。
しかし、それは、会社全体としての深い闇への第一歩なのかもしれないのである。本来、副業解禁日というのは、会社の滅亡カウントダウン開始日として、線香の1つでも上げるべき日だったのかもしれない。
あなたが副業をするかどうかは関係ない。組織が崩壊しはじめるという深い闇への第一歩である。

ある事業の責任者がこう言い出した。
「この開発案件、ひとりで1人月ぐらいだから、ガイアックスグループの仕事出来るエンジニアさん誰か作ってくれないかな。」
「開発事業部に発注するってこと?」
「いや。事業部じゃなくて個人に発注したい。」
「えっ。それマズくない?個人に直接?事業部を通さず?」
「でも、きっとガイアックスグループのエンジニアさんも副業しているかもしれないよ。僕らも日頃からクラウドソーシングというか、副業として受けている人に発注しているかもしれないよ。だったら、もはや、最初から副業でどう?って尋ねるのでいいんじゃない?」
「それって、社内で、『そっちの事業部でこの開発請けたらいくらかかるの?で、君個人で請けたらいくらなの?』って会話をするってこと?」
「そうだね。」
そのうち、客先でも、これ会社で受けるといくらですが、個人で受けるといくらです。とかって言い出しそう。怖い怖い。

ガイアックスグループとして、決して、儲けどころを逸するわけにはいかない。

早く、ガイアックスの周りで個人で仕事を受けている人が、もっと楽に仕事を受けれるように、請求書代行サービスとか、決済代行サービスを始めて手数料を稼いだ方がいいだろう。
それに、個人とかで受けちゃうと、万一、病気とかなったら、クライアントさんに迷惑が掛かっちゃうから、万一用の保険のサービスというか、代理メンバーアサインサービスとかも必要かもしれない。これで儲けるのも手だろう。
周りのメンバーの良し悪しが、すぐに見て分かるように、レビューをまとめて、星4つとかって、HPでアップしていってもいいかもしれない。
より個人が仕事を受注できるように、個人をピックアップして、HPで紹介していったほうがいいのかもしれない。

なるほど、働き方改革って、簡単にいうと、シェアリングエコノミーのことだったんだー。
あー。会社の外と中からシェアリングエコノミーになっていく。
こうやって、世界はシェアリングエコノミーになっていく。

 

ティール組織における、資本主義社会の光と闇と

最近、よく「ガイアックスってティール組織じゃね?」と言われる。
僕的には、ガイアックスは残念ながら、すでにもはや組織ではなく、コミュニティかなと思っているので、その点が違う。

言わば、「お前の会社って、もしかして、糞じゃね?」って、よく言ってもらっているのだが、「すみません。すでに堆肥に変わっているようです。」という感じ。

まぁとはいえ、ティール組織とも言えなくはない状態の中で、ティール組織を成立させる上で大切だと思うこと、ポイントだと思うことをいくつか書いておきたい。

 

●資本主義社会の活用

会社は普通、社長が居て、ヒエラルキーがあって、権限があり、それでコントロールされている。そのため、仕事が出来る人であればあるほど、もしくは、効率的に組織をマネージできる人であればあるほど、「ティール組織なんて成り立たないだろう」という考えを持っているケースが多い。
結局、自由があるとか、権限を渡すとかって言っても、最後、何かしらで承認システムを作らないといけないのでは?最後、何かしらで意思決定をしないといけないのでは?と考えていらっしゃる。

僕は、そうは思わない。
ティール組織は、十分にありえる。

「今、研究されつつある、もしかしたら、存在可能なのかもしれない物体」という最先端のものという感じでもなく、昔から、当たり前にありえる常識的なシステムだと思っている。

ティール組織とも言える2つの事例を紹介したい。
1つは、自然界である。
そして、もう1つは、経済界である。

弱肉強食の自然界と、弱肉強食である資本主義の経済界は類似点が多い。
自然社会、そう、ガイアでは、一つ一つの生命体が自由に飛び回り、エネルギに満ち溢れていて、すぐに姿形が変わって、進化論のとおり、進化と絶滅が繰り広げられていく。でも、だからこそ、そこに生きようとするエネルギーが溢れているのである。一歩下がって地球を見てみると、ガイアは調和が取れていて、青く、そしてすごく美しい。
日本の経済社会全体も同様に、一つ一つの会社が自由に飛び回っている。だからこそ、エネルギーに満ち溢れていて、新しいイノベーションが出てくるのである。大切なのは、許認可や規制や秩序ではない。自由や競争なのである。その結果として、パワフルな国家に仕上がっているわけなのである。

会社法人の単位で見ると、たしかに組織立っていて、社長がいて、軍隊型だったり、達成型だったり、先進的で心優しいところは家族型だったりしている。しかし、その会社の集合体である日本の経済社会は、ティール型であり、意思決定が分散しているのである。そして、経済社会からは常に力強い生命の息吹を感じることができるのである。
僕は、世耕経済産業大臣のことを尊敬しているが、日本の経営者や街の商売人は、世耕大臣の見通しや方針に対して、盲目的に、上意下達的に「ミギニナラエ」をしているわけではない。世耕大臣のおっしゃることに対して「それってほんまに儲かりまっか?」である。各自が、勝手に政策インパクトを見通し、勝手に意思決定をするのである。ヒエラルキーも、指示命令系統も、承認もない。

ガイアックスでも、社長の立場や上層部の承認やヒエラルキーでコントロールされているわけではなく、そこら中に資本主義社会が行き届いている。
そのため、実はガイアックスは、家族型な温かい会社でもない。ティール組織というのは、家族経営のような優しさ溢れる組織ではない。弱肉強食の熱さとエネルギー溢れる組織なのだ。

 

・ユニット単位に資本主義社会が行き届いている

ユニットごとに、PLを持っている。持っているが故に、独自で判断をしている。
つまり予算を組んで、そして毎月月次で実績を流し込んでいるが、それだけでなく、リアルタイムで「フォアキャスト(予想)」を更新できるシステムも組んでいる。
予定より人を採用したり、案件をロストしたりする際に、会計からくる実績を待たずに、当初作っていた予算の項目を更新することで、PL全体や、年度末着地が更新されるというシステムだ。フォアキャストを眺めていると、みんなが毎日コロコロ変更しているので、年度末着地の予想の営業利益とかが、株価のように上下動しつづけている感じが見て取れる。
社内やグループ取引をしてもらいたいが、それもそもそも自由だし、価格や品質次第で、外部とも取引している。PLを持つことで、権限と責任を行き渡らせているのだ。

行き届いているのは、ユニットごとのPLの管理システムだけじゃない。

グループ会社は、すべからず、その経営陣とそのメンバーがその会社の株式かオプションを持っている。持っているが故に、本気で独自で判断してくる。
ガイアックスグループの代表の僕が、「ガイアックスグループとして、シェアリングエコノミーを中心に事業展開をしていく。」と高らかに宣言しても、僕の方を見て、首を傾げて、「それって、儲かりまっか?」という反応である。
まぁ各グループ会社の立場として、「僕ら経営陣の持っているこの株式の価値って、その方針で最大化されますか?保証はあるのですか?」って思うことは、もっともである。
実は、もっと言えば、ガイアックスが一定比率の持ち株比率を持っている会社のことを簡易的にグループ会社と言ってはいるが、悲しいことに、多くのケースで各社に対して、ガイアックスとしての議決権を放棄するという合意書を差し入れている。結果、会計上の連結子会社でもなくなっちゃっていて、より、各会社の経営陣の皆様が自由にスピーディに意思決定をしている今日この頃なのである。

ガイアックスの立場で、議決権があると良いのか、承認権があると良いのか。まぁそんなわけはない。そんなことが重要なわけがない。各ユニットのど真ん中に熱さこそが必要なのだ。
会計上の連結であることが重要なのか?いや違う。熱さからくる事業の力強い伸長が重要であって、実際に儲かることが重要なのだ。

 

・個人に資本主義社会が行き届いている

資本主義は、ユニット単位にだけではない。個人にも行き届いている。
個人の給料は個人で決める形となっている。
各自が長期的な計画と短期的な計画とを持ちながら、どういうアウトプットを出すのか、と、その時の報酬額について、予め宣言している。
常に自分で「この仕事でいくらもらうべきか」ということを考えながら、設計をしている。

給料テーブルが全社に用意されていて、それに基づいて報酬が決まるわけではない。一人ひとりが給料を決める以上、一人ひとりに給料テーブルがあるわけだ。

(もっとも、お金や給料に興味がない人が多いし、ガイアックスグループの多くのメンバーが、何らかの形で株式を持っているので、お金に興味がある人もちゃんと考えると、給料には興味がなくなるのだが。もはや、僕たちは社会人であり、小学生でもないので、「お金持ちになる」には、現実的には、株しか無いということは、誰もが知っている。本日時点の「世のお金持ち」の皆様は、すべからず、株の力を使ってお金持ちになっている、なんてこと、誰もが知っている。)

 

またそもそも、副業というか他の仕事と、ガイアックスグループに対する仕事との投下工数をどのぐらいにするのかから、自分で考え設定している。
フルコミットで働く人もいれば、週一の正社員だっている。時期によって働き方を変える人すらもいる。

働くといっても、ちゃんとまじめに働くふりをしているだけで、新卒からして自分の仕事を自由にクラウドソーシングなど外部発注を活用しまくってこなしている。
そして、ガイアックスのグループ内でも副業の受発注OKなので、事業部が他の部署の正社員にも、直接取引な業務発注をしてしまっている。
社員に、その所属部署を通さず、仕事を発注しちゃっているのだ。今、流行りつつある「闇営業」である。

つまり、副業としてグループ外から直接的に報酬をもらっているケースも増えてきているのに併せて、グループ内に私に給料を払っている人(現世で言うところの「上司」と呼ばれる人なのかもしれない)が1名じゃないケースが増えてきているのだ。
給料テーブルも、ややこしい業務になればなるほど、結局予め、自分で決めているのだが。

自分の意思決定で、リターンを上げることができる。
上司とか権限というものが悲しすぎるぐらいプアな存在なので、グループ内で「上司にご機嫌伺い」的な雰囲気はまったくない。
イケてない事業には、人が寄ってこず、イケている事業に、人が集まってくる。
自由でイノベーティブで熱量ある動きを、皆さん、目指される。

資本主義社会の仕組みに立脚することで、軍隊型でも、達成型でも、家族型でもなく、ティール型の組織になれるのである。

 

●資本主義社会の価値観が脳みそを溶かしてしまう

一方で、「資本主義」というものは、クリティカルにダメなところをたくさん持っている。
資本主義社会の作り出す価値観が、僕たちの脳みそを溶かしてしまい、僕たちを、バカで、カスで、終わってるヤツにしてしまうのだ。
資本主義社会は、本当に恐ろしい。間違いなく、今、人類最大の敵である。
エネルギッシュで、狡猾で、どこにでも潜り込んできて、ウォーキングデッドのように次々と感染者を増大させていく。
まじでトドメを刺してしまいたい。

資本主義社会のせいで、僕たちの脳みそは溶かされてしまって、狂わされてしまっている。

僕たちは、金持ちがエライと思うようになってしまう。
金持ちになりたいと思わされてしまう。
詐欺をする人が、本当に世の中に出てきてしまう。
ブランド品など高いものに憧れを持つようになり、所持したいと思わされてしまう。
みんなでシェアすればいいのに、一人ひとりで所有したいと思ってしまう。
なんと、店員よりも、お金を払う客の方が上だという明らかに間違った常識が溢れている。
僕が金を払えば、店員や周りはヘイコラするものだと思ってしまう。
働くひとの立場で、報酬をより多く獲得すべく、積極的にヘイコラしてしまう。
価値あるもの、ではなく、売れるもの、を作ろうとする。
化学調味料を目立たないように、でも、たくさん使ったものが、実際に世に溢れている。

こんな腐った価値観に、骨の髄まで侵されてしまった人たちがいればいるほど、
組織の中に、お金に対して、こだわりを持つ人がいればいるほど、
ティール組織を目指すことの難易度が上がっていく。
働いている人全員が、「資本主義」や「物質主義」や「贅沢をしたいということ」や「過度な報酬を得たいということ」について、無関心であること。これが重要なのである。

 

昔、大学生の時代、営業会社で働いていた頃を思い出す。
成績を上げると、なんと、椅子が立派になるのだ。リクライニングができる椅子になるのである。
そしてもっと成績を上げると、なんと肘掛けがついている椅子に座れるようになるのである。
もちろん、支店長は個室を持っていた。
今思うと、営業で攻め攻めの会社だったので、大阪梅田の中でもかなりきれいで立派なオフィスに入居していたなぁって思う。
(比べると、なんて、NagatachoGRiDって、雑すぎるんだろう。古さ満点だし。)

業績を上げると給料が上がるのであるが、びっくりすることに、みんなが自分のもらえる給料に意識をフォーカスさせていた。
給料が下がると悲しみ、給料が上がると喜ぶのだ。
周りの給料が、自分よりも高いと妬み、低いと嬉しがって喜んでいるのだ。
高い給料になって、自慢げにブランドのスーツを買っていた。

僕が、達成型の組織でマネージメントをしていくのであれば、当然であるが、こういう感じで、実績評価をするし、成果報酬にするだろう。
成果報酬にするだけでなく、その報酬額に全社員の意識が行くようにコントロールしていくだろう。
個々人の生きがいやライフプランなんてコントロールしにくいものではなく、より組織として、マネジメントやコントロールをしやすいように「がんばって報酬を上げたいな。」と思わせるに決まっている。社員さんが贅沢をしたがる状態というのは、まさに組織運営者としては、きっちりと術中にはめている、と自慢できると言っても過言ではない。

社員さんから、他の人に比べて給料が低いとか、不公平だっていうクレームが来たりする。
組織のマネージャとしては、その不満に対してケアをしなければならないのではあるが。とはいえ、そんな給料なんていう、本来その人自身の人生において、マジでどうでもいいことに注目をしちゃっていて、不満を持っちゃっている時点で、組織運営者としては勝負に勝っているようなものである。

家族的な組織で見た場合であっても、なぜ平等でないのか、もしくは少なくとも、公平な評価ではないのだ、という話になる。
僕の感覚で言えば、組織の中において平等や公平であることなんて、まったく重要ではない。

同期と同じアウトプットを出して、報酬が違うということについて、仮に文句を言いたいのであれば、ぜひ、向かいのビルに入っているあの大手企業のあの同じ学歴の同い年の彼との報酬や待遇の違いについても文句を言ってもらいたい。
ぜひ、同じ学歴で、能力差がきっと1.5倍もないのにも関わらず、若くして会社をバイアウトして資産が1000倍違う彼との報酬の違いについて文句を言ってもらいたい。
「同じクラスの花子ちゃんは買ってもらってたヌイグルミ、私も欲しいよ!欲しいよ!」じゃないんだから、同僚や知り合いを特別視するのではなく、世の中の人、つまり赤の他人も同様に見てもらいたいのだ。そのレベルで思考を働かせてもらいたい。

僕も、他の会社の社長との報酬差について、文句を言っていいのですかね!
そんなことを意識したこと無いし、見比べて不満を感じるなんてバカなことを思いついたこともない。僕自身がアホらしくてしてないことを、ガイアックスのメンバーにお薦めするなんて変なことは、決してできない。

資本主義社会に侵されてしまうことで、ミッションや、一人ひとりの価値観やライフプランを大切にするようなティールな組織にはなるのは難しい。
その行き先は、達成型の組織まっしぐらになってしまうのだ。その考え方のせいで、管理者に操られるようになるのだ。もしくは、管理者が操らなければならないようになるのである。
平等を過度に大切にしても意味がない。それはそれで、家族型の組織まっしぐらになってしまう。
大切なのは、資本主義社会の臭い香りを、うちわで扇いで遠くのどこかに追いやること、なのである。

 

読み返してみると、全部、資本主義の話。
ピュアにティール組織の話のつもりだったのに。
相変わらず、上田は、資本主義が好きで好きでたまらないようだ。ツンデレというか。可愛さ余って憎さ百倍というか。

ティール組織を作るには、現時点ではマイクロなレベルにまで、資本の枠組みや、商取引をフル活用するのが良いと考えている。そして、ガイアックスでは、それはそれでそれに倒しまくっている。
でも、資本主義はあまりに弊害が多すぎて、怖い悪魔が潜んじゃっているので、気を緩めると、自分たち自身の脳を溶かされてしまう。

だからこそ本来は、組織内において資本の取引ではなく、「思い」や「夢」や「ミッション」で、それの重さや熱さで取引すべきなのだ。
そのほうがピュアで、パワフルで、弊害がなくて、より正しいはずなのである。
僕たちは、資本主義社会を活用しつつも、そういう組織を作りにいっているし、本来はもっとピュアにそういう仕組みに倒していきたい。

 

こう考えると、自然界、ガイアにおける商取引のお作法、つまり、命をいただく、命を差し出す、で成り立っているシステムに、本当に神聖さを感じる。

クアラルンプールで、いろいろと子どもたちに腹が立つ

姉ノアちゃん7歳と、弟リョウくん5歳。子どもたち2人と、ママと僕。つい先日、8月に、僕は夏休みを取って、4人でマレーシアのクアラルンプールに1週間行ってきた。
前々から、子どもたちの英語力向上のためにも、親子留学、子どもたちとママの3人で、が、いいのでは、って話をしていて、一時その話しも中断していたけれど、改めて検討しはじめた。
やっぱり、いろいろ子どもたちの将来のこととか話していると、英語力も大切だけどそれに加えて、多種多様な文化に小さいうちから触れておくってことが大切じゃないかっていうことになり。まずはとりあえず、現地の学校や環境を下見に行こうという話になって、今回旅行に行ってきた次第だ。

 

●マレーシアのリゾート、ペナン島で出会った家族

マレーシアに行くにあたって、せっかくなのでリゾートにも少し立ち寄ることにした。で、ペナン島。ランカウイ島と並ぶ、有名マリンリゾート地だ。ダイビングの免許も持っているしサーフィンもやり始めている僕からすると、憧れの地でもある。

が、しかし、子どもたちは、残念ながらプールが一番好きであった。
ペナン島まで来たにも関わらず、ずっとホテルのプールに行きたがる。
到着2日目、3日目になっても、朝から「早くプールに行きたい!早くプールに行きたい!」と連呼してくる。
海にも全然行かないし、魚も見に行かないし。夕方になってプールから出てくると、外にお出かけに行くのではなく、ホテル併設の子ども向けのプレイランドで遊び始める。カラフルなプラスチックでできた、ボールプールや滑り台がある奴だ。
これって、日本中のそこらに乱立するボーネルンドのキドキドでよくね?っていうか、キドキドの方がクオリティ高くね?
わざわざ、エア(といっても、AirAsiaの格安便なのだが)を乗り継いで、ペナン島まで来たのに。この子どもたちは!

プールで、ちょうど子どもたちと近い年齢の女の子が居た。お互い、同じぐらいの年齢の日本人の子が居たものだから、見つけた瞬間嬉しがって、一瞬で仲良しになる。子どもたちが一緒になって遊んでいるから、親同士も自然と会話をするようになる。いわば、公園のママ友みたいな感じだ。

その女の子の家族は、すごく良さげな雰囲気の家族。優しそうなパパさんとママさん。きっとしっかりとしたお仕事をされているんだろう。ご家族3人ともすごく仲良しで、そして、夏休みに幼稚園児のその女の子を連れて、ペナン島まで来ているなんて。話を聞くと、毎年、いろいろなところに行っているみたい。
なんと偶然、パパさんも僕と同じ大阪茨木市出身。奇しくも隣の小学校だった。
今はどちらにお住まいなんですか?なんて聞かれて、「僕は東京、ママと子どもたちは、福岡です。」って答えると、向こうにもこちらが良さげな家族のように見えるのか、「単身赴任なんですね!大変ですね!今日は、家族一緒でいいですね!」って。説明がややこしいから、そのまま、単身赴任。
深入りされても回答に窮するので、極力その話題を避け、近隣のレストランやホテルの事情、パラセーリングなどのアクティビティの価格事情(交渉次第で値段があってないようなものだから)などの情報交換の話をした。

子どもたちは、その女の子とプールではしゃぎまくっている。
そのうち、中東系な感じの同じ年齢ぐらいの子どもも輪に入ってきて、みんなで潜ったりジャンプしたり、潜ったりジャンプしたり。エンドレスにまるで機械のように繰り返している。
中東系の子とは、会話が通じないんだけど、全く問題ないみたい。通じてないのに関わらず、お互いの言葉で話している。

こっちは大人だから、もういい加減、寒いんだけど。飽きない子どもたちだ。

 

●クアラルンプールでの学校の視察

4日目に、クアラルンプールに戻って今回の旅のメイン、学校の視察に行った。あと実際の生活環境ってどういう感じかなって、いろいろウロチョロもした。

イオンがかなり普及していた。いわゆるショッピングセンターのサイズのイオンだ。
これなら、生活ができる。ほとんど日本と同じ。日本の調味料とかも倍ぐらいの価格はするが、一通り百貨店などで揃っている。
もはや、マレーシア、現地の購買力が高すぎ。あまり日本に比べて安いという感じはしなかった。特に福岡と比べると、下手すると福岡の方が安いのではないか。配車アプリのGrabがインドネシアマーケットに2000億円の投資をする、とかってニュース流れてたけど、この国力なら納得できる。やっぱり人口も多いし。
せっかくなので、Airbnbで現地のマンションに泊まることにした。現地のマンションって言っても高級な部類だとは思うが、もはや中に入ると日本のマンションと何ら変わらない。

一方で道を歩くと、中東な雰囲気の人も多いし、中国な感じの人も多い。宗教もいろいろありそうである。
見学しにいった学校では、欧米系の方も多いし、アフリカ系な感じの方も多かった。これならたしかに、グローバルな交流はできるのだろう。なかなか満足できる環境ではある。

ただ、4人で街中を歩いていると、リョウくんは、目を離すとすぐにどこかに走り去る。全く言うことを聞かない。元気な5歳の男の子なので、もはやしょうがない。がしかし、異国、しかもマレーシア。人がゴタゴタしていて、この環境下で実際親子留学をするとなると、僕も時々、こちらに来ては2週間ぐらいとか滞在するつもりではあったが、それ以外の期間、ママ1人で2人の子どもたちの面倒を見るのは大変だと思う。結果、二人での会話としては、やっぱりリョウくんが小学校2年生ぐらいになるまでは、ちょっと難しいかな、っていう感じだった。
ただ、まぁマレーシアという国の雰囲気とか、日頃の生活イメージや学校がどんな感じなのかってことをだいたい掴めたのは良かったと思う。

 

●クアラルンプールの雑踏の屋台での物売り

夜には、せっかくなので、クアラルンプールの名物の屋台の並ぶストリートに行った。500mぐらいの長い距離に渡って、しかも横幅が広い通りに、所狭しと食べ物やフルーツやお土産物の屋台がならんで、人がゴタゴタ殺到している。かなりたくさんの人。そこら中から漂うドリアンの匂い。ノアちゃんは、ずっと鼻をつまんでいる。臭いんだろうな。1時間経ってもずっと鼻をつまんでいた。

旅行雑誌などで取り上げられている、偽ミッキーマウスのロゴがトレードマークの屋台に入って、手羽先や串焼きなどを頼むことにした。
いろいろ怖いから、ペットボトルのジュースを頼んだつもりなのだが、残念ながらコップに入った状態で出てくる。しかも、氷の入った状態で。怖がりの僕は、食べ物もちょっとびっくりおっかな。
そんな状態なのに、周りはずっと人にあふれて、ゴタゴタしっぱなし。かばんとかもスられやしないかと気になるし、食べてる最中にも、ピカピカ光るおもちゃを両手に持った物売りとかもやってきて、話しているのに割り込んでこちらに売りつけようとする。普通に屋台なお店で座って食べてるのに、売り込んでくるなんて、なんて根性なんだ。綺麗な店に並んでいるモノですら、信頼できないのに、売り子が売り歩いているものなんて、絶対信用できない。すぐに追い払うものの、そういういろいろがあって、食べるのにも集中できない。

 

僕は、10年前に結婚して、そして2年前に別居になって、それから約2年が経つが、この6月末に離婚の手続きが完了した。
プライベートなことなので、皆さんには、特に報告していないのだが、このブログにて、報告をすることとする。

巡りに巡って、結局、子どもたちの親権者は、ノアちゃんもリョウくんも僕になり、また、彼女曰くお金も特に要らないし、お金の合意も要らないとのこと。普通に僕が子どもたちに必要なお金の負担を、普通にしていってね、というだけで。
子どもたちは、まだ小さいので、引き続き彼女の元で育ててもらうが、好きな時に好きなだけ会えるし、子どもたちが自分でいろいろ判断できるようになったり、自分で飛行機とか乗れるようになったら、子どもたちが好きなように適当にどちらかの家に行く感じになる。
この2年間、二人の間に向こうの弁護士が入っていたタイミングの話しと全く違って、この6月になって、急にこんなすごく優しい決断をしてくれた。2年間、すごくしんどかった毎日が嘘のよう。あまりに嬉しすぎて初めは信じられなかった。でも、実際そうなって、本当に幸せ。彼女の今回のこの決断には、すごく感謝している。
彼女は僕が子どもと会うときには、長崎のアイランドルミナとかの面白そうな場所へ行く時とか、その他気が向いた時とかは一緒に来るし、仕事とか何かプライベートの予定とかがあると、最後の日の夕食ぐらいを一緒に食べる感じ。

彼女は、学生時代、カンボジアのNGOで1年間働いてただけあって、クアラルンプールの雑踏の中でも、別に普通な感じで、屋台の串焼きや飲み物を臆せず平気で、ニコニコ笑いながら食べてて、すごく素敵な感じ。

 

食べ終わって、落ち着くと、ノアちゃんが、わがままを言い始める。「あのさっきのピカピカ光るおもちゃが欲しい。」
マジカ。誓って、絶対にまがい物だぞ。

そう思いつつも、結局、4人で、あの売り子を探すことに。

なぜ、クアラルンプールの雑踏で、まがい物を売っているいかがわしい売り子を4人がかりで血眼になって探しているのだろう。騙してくるだろうな、な、怪しい売り子を自ら探すという、はじめての経験をする。おそらく、この屋台ストリート広しと言えども、そんな人はいないだろう。負けた感でいっぱいである。

 

●道の真ん中でカラオケを歌っている人

屋台の通りの雑踏の中、体にハンディキャップのある人が、大音量でカラオケを歌っている。足元には、お金を入れる用の皿が置いている。
なんとも言えない。

両腕が、事故かな、病気かな、肩のすぐ下からすごく細くなって、10cmぐらいの長さしかない。
リョウくんが、彼のことを指差して、腕が変だよって言ってて、ノアちゃんが、リョウくん、指差したらだめ!失礼でしょ!と言いつつ、ギョロギョロずっと見ているお前も失礼だろうと思いつつ、往来のど真ん中で大音量でカラオケを歌っている人に注目をすることが、そもそも失礼なのかと思いつつ、パパ、あの人どうしたの?何してるの?って聞かれて、どう答えたらいいか、悩んでしまう。

いろいろ苦労されているんだろうな。苦労されていることを目立つ形にすることで、お金をもらえて生活ができているんだろうな。いやいや、彼がこんなことをしなくても、もっと自然に脳と脳がつながる感じになって、自然に助け合えるような社会になればいいなと思うんだけど。目の当たりにしたくないことを目のあたりにすることで、いろいろと考えさせられてしまう。
でも、このシチュエーションについて、彼が一体なんなのか、子どもたちになんて説明をしたらいいのか、本当に難しい。

 

そういえば、離婚の手続きが完了したときに、最初に思ったことは、子どもたちに離婚の説明をどういう形でしたらいいのか、だった。すごく悩んだ。
彼女と事前に打合せをしたほうがいいのかな。子どもたちにはある年齢になるまで伏せてたほうがいいのかな。ノアちゃんのこともリョウくんのことも大好きだよって伝えなきゃ。どうしようどうしよう、と思いつつ、僕の中で結論が出ないまま、子どもたちと遊ぶ日を迎えてしまった。

子どもたちと会って、車でお出かけ。助手席に彼女が座って、後部座席に、ノアちゃんとリョウくん。
子どもたちに会うときは、最初に、学校の様子を聞くことにしている。
「ノアちゃん、あの仲良しの1つ年上の男の子とは、最近どうなの?いつも、お昼休みに中庭でデートしてるの?」
「ううん。最近はしてない。もうあの子とは離婚したんだ。」

えっ。離婚?子どもが離婚って言ってる?
さっき、ノアちゃんが間違いなく「離婚をしたんだ」って言ったよな。

「離婚?なにそれ?絶交のこと?絶交でしょ?」
「絶交じゃないよ。絶交は、もう二度と話をしないってことでしょ?絶交はしてないよ。離婚だよ。これからも別に話しをしないわけじゃないし。」
「なるほど・・・。」

離婚って子どもたちの中でどんな定義なんだ?って思いつつ、隣の彼女を見ると、どうやら、離婚のことはもう話したみたい。まぁ彼女は、毎日一緒に暮らしているしね。彼女は子どもたちになんて説明したんだろう、と思いつつ、そのことよりともかく、正直言って、子どもたちにどう説明するべきなんだろうって、ずっと悩んでいたのが、その問題自体がすでに終わってしまっていることを理解し、肩の荷が降りてホッとした。

 

●Doraの実写版の映画

クアラルンプールでは、Doraの実写版の映画が上映されていた。道端のDoraの看板を見て、子どもたちが見たい!とのこと。
Doraというのは、南米のスペイン語圏向けの英語学習とかにも使われるようなマンガ作品だ。日本では全く知名度がないが、位置づけ的にはセサミ・ストリートみたいな感じと思ってもらったら良いかなと。主人公は、Doraという7歳の女の子。スペイン語圏向けなので、挨拶は、オラ!
ノアちゃんには、小さい頃から英語の勉強用にDoraのマンガとかを渡してたらから、Doraが大好き。わざわざ旅行中に映画を見に行く必要も無いのだが、Doraの実写版、きっと日本では永久に上映されないだろうなので、せっかくなので見に行った。イオンの中のシネマコンプレックス。システムとか日本と一緒。で、このDoraの映画は、音声が英語、字幕が中国語とマレー語。

子どもたちには、日本でもいつもアニメを見るときは、日本語ではなく英語音声だけにしているから、基本的には特に抵抗感も無いのだろう。だからこその、次のステップの親子留学なのだ。実際、ノアちゃんは上映中食い入るように見ていて、でもリョウくんはちょっと難しいのか、ママに甘えっぱなし。ママ、、彼女は、楽勝そうだが、彼女と違って、僕は、残念ながら、なんちゃってのTOEIC800点台なので、子ども向け映画とはいえなかなか中身を理解するのが難しい。精神を集中してストーリーに食らいついていく。

最後の場面、映画のクライマックスの後のところのシーン、日本人は誰もこの映画見ないだろうから、ネタバレでちょっと紹介すると、

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映画の最初、17歳になったDoraが冒険家の親と一緒に冒険に行きたがっていたのだが、親は危険だからって許さない。親が冒険に行く間、Doraはアメリカの学校に留学することとなる。
で、最後のシーンでは、探検に巻き込まれたDoraの活躍にびっくりし、そして安心した両親が、これからは家族で一緒に冒険に行こう、って話すのだが、Doraは探検で絆が深まった友達たちのいるアメリカの学校に戻るという。両親はそれを聞いて、「それはいい!がんばって勉強しておいで!」って笑顔で送り出すのだが、Doraが席を立って見えなくなった瞬間に二人して、Doraが親離れしちゃったものだから、悲しくて悲しくて号位しちゃう。それでエンドロール。
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分かるー。
まだ親離れするような年齢じゃないから、厳密には、分からないけどー。

このシーン、シチュエーションは違うものの、この2年間、全然子どもたちに会うことができなくて、すごく悲しかったことを思い出して、でも、時々子どもたちに会えた時は、子どもたちの前では、笑顔でいてて。
つい、もらい泣きしてしまった。

彼女も子どもたちのことが大好きだけど、僕も子どもたちのことが大好きだ。僕の人生で、やっぱり子どもたちが一番大切だ。
本当に子どもたちのことが好きだ。旅行中も、寝ている顔ですら、ずっと見ていて幸せしか感じない。
ノアちゃんは、本当に優しい子で、いつでも周りの人の気遣いをする。そんなに気遣いしちゃうとノアちゃん自身が大変だよって心配になるぐらい。すごく優しい子。何回も僕に手紙をくれる。宿題とか英語の勉強も決めたことをちゃんと真面目にやれる子。大好き。
リョウくんは、僕にそっくりで理数系男子。算数が大好き。暇なときに算数をする?って誘うと、目をキラキラさせて、僕と二人で一緒になって、足し算とか引き算をする。すでに年中さんにして、小2のノアちゃんの宿題とかを代わりに解けちゃうぐらい。集中力の高さといい、すごく才能を感じる。大好き。

6月以降は、自由に会えるようになって、何度も会うようにしているが、子どもたちと一緒に過ごせる時間が幸せすぎる。
2年前以前の、家族がみんな一緒に生活していたころ、子どもたちがいる時間、一瞬一瞬が、こんなに大切な時間だなんて、当時は全くわからなかった。会えなかった期間を経て、今は一瞬一瞬にすごく感謝するようになった。ノアちゃん、リョウくん、ありがとうって本当に思う。生きているという実感を感じさせてくれる。

 

でも、だからこそ、仕事も大切なのだと感じる。
グループの代表として、家族のために働きに来てくださってる多くの社員の皆さんに、しっかりと生きがいと共に、ちゃんと安心して生活ができるようにしていかないと。ともかく、会社をしっかりとしないと。
昔、ノアちゃんが産まれた時に、彼女とは話しをしたんだけど、大災害とか大地震とか、何かあった時には、だからこそ子どもたちのことは彼女に任せて、僕は会社に行くねって伝えた。改めて、個人として、子どもたちとの時間の大切さを感じるからこそ、会社やお仕事が真剣に大切に思える。

ノアちゃん、リョウくん、大好きだよ。
映画が終わってから、ノアちゃんに、英語、ちゃんと理解できた?どのぐらい理解できた?って聞いたら、「ほとんど全く理解できなかった」って。あれ?あれれ??

 

●行かないって言ってるのに、ずっとプールに行きたがる子どもたちに腹が立つ

子どもたち2人は、クアラルンプールに来てから、せっかくのマレーシアの観光地に行くのではなく、早くプールに行きたい!早くプールに行きたい!って2人してずっと連呼している。

そもそもペナン島はさておき、プールに行くつもりはない。今回は、学校や生活環境の下見がメインなのだ。映画には行ったけど。
プールには行かないよって、ちゃんと言ってるのに、この2人は何をそんなに言ってるのだ。あまりにも言ってくるので、ちょっとこっちも腹が立ってくる。

本当にノアちゃんもリョウくんも全然話が通じねーな、と思いながら、よくよく二人の話を聞くと、この二人、二人してクアラルンプールのこと、「プール」だと思っていた。

それは、話が噛み合わないや。

なぜ僕たちは映画上映をするのか?

なぜ、ガイアックスは、そして、NagatachoGRiDでは、シリアスな映画の上映をするのか。そして、食事も提供していろいろ語れるようにしているのか。

ソーシャルメディアやシェアリングエコノミーによって、
他人同士がつながっていくことは、
脳と脳がつながっていくことは、
実際には、それ自体にそこまで意味がなく、
それによって社会が変わることが重要で。
また、何が大きく変わるのか、何を大きく変えることができるのか、というと、いろいろな局面で「社会問題」と言われている問題の解決に、もっとも意味があると考えている。

ソーシャルメディアやシェアリングエコノミーで、たしかに儲かったり、たしかにより適切な物質が手に入ることもあろう。
友達もできるし、楽しい時間も過ごせるだろう。
でも、それだけじゃなくて、「社会問題」が解決するのだ。

 

そもそも社会問題に興味がない、、のも、まぁ個人の自由ではある。でしょうが、正直、かなり違和感を覚える。

だいぶ前にガイアの夜明けで、スターバックスのゴミ問題、いかにプラスティック製のストローを撤廃するか、が取り上げられていた。担当の女性は、紙のストローだと5分ぐらいでしなってくるし、一定のコストに抑えないといけないし、と、かなり苦労をしていた。

世の中では、クジラがプラスティックを食べ過ぎて死んでしまったりとか、鹿がビニール袋を食べ過ぎて死んでしまったりとか、多種多様な社会問題がある。
スターバックスでも多種多様なお仕事があるだろうけど、僕なら「こういう問題をなんとかしてこそ、まさに自分のスターバックス人生を全うすることになるのだ。」と思うだろう。
そのテレビで取り上げられていたスターバックスの女性も、苦労はしていたものの、きっと彼女にとって素晴らしいお仕事で、きっとめちゃくちゃやりがいのあるお仕事なんだと思う。

もちろん、プラスティックを撤廃することだけが、全国民の問題ではないのは、もちろんそう。ごみ問題以外にも、ややこしい問題がいろいろ世の中に蔓延っている。
今日の時点で、たくさんの社会問題があり、個人として取り掛かるのは、それのどれでもいいと思う。

また、その社会問題をクリティカルに引き起こしている原因は、
今日の世界のコミュニケーションの枠組みが問題であり、ほぼ同意義で、資本主義が問題であり、
それらを解決する根本ソリューションは、新しいコミュニケーションであり、これもほぼ同意義で、ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーなのだと思う。
ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーが伸長して、資本主義への依存度が下がることが、現行の社会問題(云わば、マジでバカな事)が激減すること、に一致しているのは、間違いない。

 

ついては、ガイアックスのメンバーは、これらの関係性をよりイメージするために、「私たちはコミュニケーションの枠組み不足がゆえに、集団としてバカなことをやっているなぁ。」と、自分たちのことをより正しく理解するために、社会問題をより詳しく知るべきである。
加えて、毎日の私たちの仕事が、レンガを積んでいる仕事をしているのではなく、教会を作ってたくさんの方を幸せにする仕事をしていることを自認するためにも、最終ゴールである、社会問題に親しむことは、すごく重要なんだと思う。

多くの人の感情として、現実として、もちろん、社会問題に興味がないわけではない、、が、接する時間もないし、情報も入ってこないので、なかなか、自分自身のマインドシェアを占有しない、というのは、すごく理解できる。
かくいう僕も、まさにそういう感じ。

だからこそ、一瞬で状況が分かり、感情レベルに影響を与えてくれる映画というのは、最高のソリューションだと思っている。
本読むより映画見る方が、遥かに楽だし。少なくとも個人的にはそう思っている。
テレビを見てると、CMもあるし、バラエティもあるしで、邪魔されるが、映画はそんなことはない。2時間ずっと集中して見ていられる。

シリアスな映画をラインナップして、市民上映を気軽に出来るようにしているCinemoというサービスをしているユナイテッドピープルさん、関根社長は、本当にすごいと思う。関根社長こそ、現代の義士だと思う。サムライっぽい髪型だし。
ぶっちゃけ、全然知らないけど、あまり儲からなさそうだけど、その意義たるや!本当に素晴らしいと思う。
ぜひ、ぴあさんや、ヤフー映画さんや、映画.comさんにも、Cinemoのサポートする市民上映会の情報も網羅してもらいたい。

 

映画が良い理由として、もう1つ理由がある。
人は感情で生きていて、感情というのは、情報よりも遥かに高度でインパクトがある。感情だけが重要で、情報はその下支えというのが正しい理解だろう。

経営上やマーケティング上のテクニックとしても、感情に寄せていくべきなのは、もう明白になっている。
いま、「エモさ」をキーにしたサービスが伸びているのは、まぁ当然。
事業プレゼン1つとっても、ロジカルさ、より、エモさ、の重要性や評価が年々上がっていく。

「感情」をどう扱うのか、という点でも、映画はすごく参考になる。
起承転結をどう作るのか。
感情移入をどうさせるのか。
メッセージをどう伝えるのか。
まさにプロのお仕事!

 

・映画の上映イベントであること
・シリアス映画であること
・それについて、食事をしながら会話し交流ができること

自分で言うのもなんだが、こんなセンス溢れるイベントってないよな、って思う。ガイアックスのメンバーが参加すべきイベントってないよな、って思う。まさにお仕事。
そして、外部からでも、こういうセンスあふれるイベントに参加される方は、きっと接していて、刺激を受けることも多いでしょうし、視野を広げてくれる人になってくれるはず。
また、ガイアックスグループやガイアックスグループにいるメンバーの将来において、そういった人たちは、仲間になってくれる可能性が高いし、仲間になってもらった時に非常にプラスになる人だと思う。

そして、NagatachoGRiDの映画イベントって、独特の雰囲気を作っている。
映画上映中でも、気軽に席を立って、お酒を取りに行って、そして、ブッフェみたいなところから気軽にご飯を食べてる感じ。
最初から、ソファとか、クッションとか、いろいろなところにみんながくつろいでて、みんなが普通に会話している感じ。
映画が終わってからもみんなの語りが終わらない感じ。

ポートランドの映画館では、まさにこんな感じだった。
まるで友達同士で、で、リビングにいて、一緒に映画を見ているのと同じ雰囲気。

 

・私たちの仕事の目標を正しくセットし、より精緻に社会問題解決に活かすため
・今日時点でやっている私たちの今の仕事の意味をより深く理解し、より有意義に感じるため
・そういったお仕事をやっていくにあたって、良い仲間と集うため

僕も参加して、そういう方々との関係性を育みたいし、ガイアックスのメンバーはどんどん参加すべきだし、ブログをお読みの皆さんにもぜひ参加いただきたいし、そして、一緒に関係性を作っていきたい。

そもそも、ガイアックスを山根麻貴さんと一緒に創業したのは、そして、当時、ガイアックスという社名にしようと彼女が決めたのは、ガイアシンフォニーという映画を市民上映会で見たから。
その市民映画上映会が、このガイアックス、つまり、まだまだ小さいけど、とはいえ、数十億円規模の会社を、グループなど含めると、1000人近い人が働くような会社を作り上げたのだ。
やっぱり映画ってパワーがある。

NagatachoGRiDの映画上映イベントからも、いろいろなプロジェクトが立ち上がってくれると嬉しい。

コーポレートサイトは、人と思いとストーリーだけで構成されているべき

ガイアックスでは、オフィシャルサイトをブログにしている。
これには、いくつかの背景がある。

 

(1)ソーシャルメディアの会社だから!

ソーシャルメディア大好き!SNS等全部好きだけど、ブログも大好き!
CMSできっちり系のオフィシャルサイトでもいいんだけど、、、やっぱりブログだよね。

 

(2)そもそも組織だっていない

CMSで、大メニューがあって、中メニューがあって、小メニューがあって、、という感じで、組織だっていない。
オーガナイズされていない。
フリー・フラット・オープンな感じだから、箱に入れづらい。
だから結果的に、タグとかを使って整理することとなる。
更新順に、トップページに出すこととなる。
分かりやすくすることや、見えやすくすることは、大賛成!
でも、実態はわかりずらし、わかりやすくできない以上、これは、致し方ない。
ガイアな自然界というのは、立方体の箱の中に生物が行儀よく座っていないものなのだ。

 

(3)思いが大切

ガイアックスの社員総会「GaiaKitchen」では、多くのプレゼンターが、事業の今や、数字や、社会のニーズにどうマッチしたサービスを提供しているのかなどを、いっぱい発表してくれる。
話を聞いていて、感情が揺さぶられて、泣きそうになるものもある。
お客さんのニーズなんて、マーケティングな日本語ではない。お客さんの気持ちであり、感情なのだ。
もちろん、数字や利益が大切じゃないというわけではない。数字の裏に誰のどのような感情があるのか、が大切なのだ。

ガイアックスグループでは、事業責任者が自由に、事業ごとに事業部ではなく、会社の箱に切り替えることができる。
そして、その会社の株式を新規で50%発行して、ほぼ備忘価格で、事業責任者を含む経営陣やメンバーのみんなで引き受けることができる。
そしてさらに、その新会社の経営陣の判断で自由に、外部の企業や投資家に投資をしてもらって構わない。
ガイアックスも投資をすることもあるし、しないこともある。それは、事業責任者の意思決定範疇外ではあるが、ガイアックスからの投資受け入れも含めて、誰からどう集めるかは、事業責任者やその新会社の経営陣の意思決定なのだ。
投資家さんに向けて、、顔を見て、自分で説得して、信じてくださいと訴えて、そして、はじめて投資をしてくれた、そのお金。

当然ながら、無駄にはできない。当然ながら、何年かは我慢してもらうが、必ず何倍にもして返そうと思っている。
その気持ちがあってこそのお金であり、数字なのだ。

ガイアックスのお金も僕自身が創業から多くの投資家さんに出してもらって、そして上場し、多くの一般投資家さんに買っていただいている。
株主総会や決算説明会などで、多くの株主さんにお会いして、叱咤激励を頂いている。
その重さやそこにある気持ちを、自らファイナンス活動に関わることで、より感じてくださっているメンバーが、ガイアックスグループ内では増殖している。

思いを語るのに、誰が書いているのかわからない記事なんて、全く役に立たない。
誰が、どんな顔をした奴が、どういう使命を感じ、どういう気持ちで、どういう決意を語っているのか。それが重要なのである。

 

(4)データやお固い文章の裏にも気持ちがある

もちろん、いろいろなデータを開示することもある。その中には、マスコミの皆様が正確な情報を短時間で把握いただけるような形式に則った、プレスリリースのようなお固い文章もある。
それらも情報として、オフィシャルサイトに掲載するべきである。
ただし、そういった情報であったとしても、情報だけだと誰も読まないし、興味も持たない。その情報をどういう思いを感じて届けているのか、を伝えないといけない。

 

だからこそであるが、ガイアックスのオフィシャルサイトの記事については、これらのルールを徹底していきたい。

 

(1)誰が書いているのかを明確にする

記事のライターの写真や名前やプロフィールをきっちり明示すること。
そしてあくまで、「私の思いは~」、「僕の意見は~」というように、気持ちや自己主張な論調で書く形とする。

一方で、できれば、断り書きとして、ガイアックスグループとして、オーソライズされた考え方ではなく、コイツ個人の考えなのだ!とリスクヘッジしておいてもらいたい。てへ。
(リスクヘッジが目的ではない!検閲しないということを守りたいのだ!もっとも、言ってもオフィシャルサイトなので、トラブれば逃げ切れないだろうけどねー。)

あと、インタビュー記事であれば、インタビューアーだけでなく、インタビュイー(インタビューを受けている人)の人の概要も欲しいし、インタビュイーのプロフィールとの相互リンクを張ってもらいたい。そのインタビュイーの人のプロフィールを見た時に、その人が書いた記事ではなく、その人のことを書かれたこのインタビュー記事が掲載されていて欲しい。

 

(2)読者の方向けに、そのライターの位置づけや、記事の位置づけを最初に記載する

みんなの言うことって、放言過ぎるので、その記事の内容がそもそも一体何なのかが、頭に入ってこない。
ガイアックスグループは、事業内容も広いし。副業している人も多いし。

つまり、記事の頭に、「ガイアックスグループにおける、どういう位置づけの人による、どの事業の何についての記事なのですよ。」と簡単な説明文を入れてもらいたい。

 

(3)ガイアックスのメンバーの個人ブログや他のメディアでの記載された内容についても、オフィシャルサイトへの転載をどんどん行う

ガイアックスグループの社員のみなさんのうち、このクソ忙しい日々の時間を縫って、どこに、ガイアックスのオフィシャルサイトに記事を書いてくださる方がいるというのだろうか。いや、いない。正直、個人ブログや個人のnoteに記事を書くことですら辛いのに。

自分自身が、仮に、正社員1年目(でも、たとえば、まだ大学生兼)で、新規事業を作っているとしたら、その想いは、きっと、自分のブログや、noteに書くだろう。でもわざわざ、ガイアックス用に作らない。ねぇ、西村環希さん。
でも、ガイアックスのメンバーのその貴重な想いが、ガイアックスグループを表す貴重な情報だとしたら、オフィシャルサイトで紹介すべきだ。リンクを貼るのではなく、読者の方が楽なように全文を転載させてもらうべきだ。もちろん、転載元のリンクも載せておくが。

個人ブログや個人のnoteに記事を書くことですら辛いわけなので、それこそ、そもそものところで、個人ブログに記事を書くということであっても、その支援をガイアックスグループとして行うべきだ。全員が息を吸って吐くように、頭の中の脳みそをインターネット上に設置していくべきなのだ!

 

(4)感情をそのまんま書く

オフィシャルサイトの目立つところに、プレスリリースのみを掲載するのは、ダメだ!
この発表内容についての責任者やリーダーが、どういう思いでこの発表に至ったのか、どういう思いでやってきたのか、やっていくのかを述べる、というのが重要であり、それこそがメインコンテンツである。想いが伝わるのであれば、別に数行だって構わない。
そのメインコンテンツの下に参考情報として、ハードな情報であるプレスリリースの文面を付けておくという形が正しいのである。順番を間違えてはならない。ガイアックスオフィシャルサイトの読者のみなさまは、XML情報を期待しているロボットさんたちやサーバーくんたちばかりではないのだ。今日時点では、まだ「人類」な生命体が大多数のはずなのだ!

だから、感情をそのまんま伝えることが大切である。上田やガイアックスグループの経営陣への不満内容でもいい。マイナスなことは感情だけでなく、ある程度、ブラックユーモアなエッセンスを入れながら突っ込まないと、個人的には読んでてつまんないけど。で、自分自身はどうしたいかも、セットで無いとつまらないけど。あと、何より、あんまりキツイことを万人の面前で書かれちゃうと泣いちゃうけど。

他の会社さんとかで、「採用」とか「人事」のページに限って、ブログ形式にしたり、記事形式にされている場合がある。
少しでもこうやってネット上に、オフィシャルサイトの中に、感情が表に出てくるのは嬉しいなと思う。
急成長され、ガイアックスでもフル活用しているWantedlyも、普通の採用媒体メディアではあるものの、事業に関わる人の気持ちみたいなソフトな情報を大切にして、「募集要項」的なハードな情報を後回しにしていることに、価値がある。
もともとガイアックスでインターンで活躍してくださってた大堀海さんが共同創業者であるPR Tableもよく利用させてもらっているが、プレスリリースの世界で、情報ではなく感情を大切にされていることが、まさに急成長されていらっしゃる要因であろう。
結局、当たり前だが、人は感情で生きているのである。

翻ってガイアックスグループについてであるが、会社の一部や人事採用面のところだけが感情で構成されているのではなく、それこそ、ガイアックスグループに関わるアクション・トランザクション・リソース・組織などのすべてが、感情で構成されているものだと、考えて、定義して、活動している。それ故に、事実に基づき、それらの感情をお伝えしていこうと考えているのである。
そのため、オフィシャルサイトのトップページからして、ブログ形式なのだ。

読者の皆様だって、「情報」だけを求めてないだろう。

僕は、オフで暇な時、気力体力が十分な時は、決算書や四季報やビジネス書を眺めることができるが、疲れている時は、つい、ビジネス小説や空飛ぶタイヤやその他のネットフリックスとかに落ちぶれていく。僕の人類としての体が、感情を追い求めるんだもの。

もしも、オフではなくオンの時間帯においても、毎日毎日、会社やカフェでパソコンを開いて、そこらのドラマに匹敵するような内容のホームページを読んでていい毎日になったら、なんて笑けてくるんだろう。全く疲れない。あー。毎日働いてしまいそうだ。

 

「コーポレートサイトは、人と思いとストーリーだけで構成されているべき」
なんのことはない、
コーポレート、、会社やプロジェクトというのものは、人と思いとストーリーだけで構成されている。だから、そんなことは、当然なのだ。