なぜ僕たちは映画上映をするのか?

なぜ、ガイアックスは、そして、NagatachoGRiDでは、シリアスな映画の上映をするのか。そして、食事も提供していろいろ語れるようにしているのか。

ソーシャルメディアやシェアリングエコノミーによって、
他人同士がつながっていくことは、
脳と脳がつながっていくことは、
実際には、それ自体にそこまで意味がなく、
それによって社会が変わることが重要で。
また、何が大きく変わるのか、何を大きく変えることができるのか、というと、いろいろな局面で「社会問題」と言われている問題の解決に、もっとも意味があると考えている。

ソーシャルメディアやシェアリングエコノミーで、たしかに儲かったり、たしかにより適切な物質が手に入ることもあろう。
友達もできるし、楽しい時間も過ごせるだろう。
でも、それだけじゃなくて、「社会問題」が解決するのだ。

 

そもそも社会問題に興味がない、、のも、まぁ個人の自由ではある。でしょうが、正直、かなり違和感を覚える。

だいぶ前にガイアの夜明けで、スターバックスのゴミ問題、いかにプラスティック製のストローを撤廃するか、が取り上げられていた。担当の女性は、紙のストローだと5分ぐらいでしなってくるし、一定のコストに抑えないといけないし、と、かなり苦労をしていた。

世の中では、クジラがプラスティックを食べ過ぎて死んでしまったりとか、鹿がビニール袋を食べ過ぎて死んでしまったりとか、多種多様な社会問題がある。
スターバックスでも多種多様なお仕事があるだろうけど、僕なら「こういう問題をなんとかしてこそ、まさに自分のスターバックス人生を全うすることになるのだ。」と思うだろう。
そのテレビで取り上げられていたスターバックスの女性も、苦労はしていたものの、きっと彼女にとって素晴らしいお仕事で、きっとめちゃくちゃやりがいのあるお仕事なんだと思う。

もちろん、プラスティックを撤廃することだけが、全国民の問題ではないのは、もちろんそう。ごみ問題以外にも、ややこしい問題がいろいろ世の中に蔓延っている。
今日の時点で、たくさんの社会問題があり、個人として取り掛かるのは、それのどれでもいいと思う。

また、その社会問題をクリティカルに引き起こしている原因は、
今日の世界のコミュニケーションの枠組みが問題であり、ほぼ同意義で、資本主義が問題であり、
それらを解決する根本ソリューションは、新しいコミュニケーションであり、これもほぼ同意義で、ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーなのだと思う。
ソーシャルメディアとシェアリングエコノミーが伸長して、資本主義への依存度が下がることが、現行の社会問題(云わば、マジでバカな事)が激減すること、に一致しているのは、間違いない。

 

ついては、ガイアックスのメンバーは、これらの関係性をよりイメージするために、「私たちはコミュニケーションの枠組み不足がゆえに、集団としてバカなことをやっているなぁ。」と、自分たちのことをより正しく理解するために、社会問題をより詳しく知るべきである。
加えて、毎日の私たちの仕事が、レンガを積んでいる仕事をしているのではなく、教会を作ってたくさんの方を幸せにする仕事をしていることを自認するためにも、最終ゴールである、社会問題に親しむことは、すごく重要なんだと思う。

多くの人の感情として、現実として、もちろん、社会問題に興味がないわけではない、、が、接する時間もないし、情報も入ってこないので、なかなか、自分自身のマインドシェアを占有しない、というのは、すごく理解できる。
かくいう僕も、まさにそういう感じ。

だからこそ、一瞬で状況が分かり、感情レベルに影響を与えてくれる映画というのは、最高のソリューションだと思っている。
本読むより映画見る方が、遥かに楽だし。少なくとも個人的にはそう思っている。
テレビを見てると、CMもあるし、バラエティもあるしで、邪魔されるが、映画はそんなことはない。2時間ずっと集中して見ていられる。

シリアスな映画をラインナップして、市民上映を気軽に出来るようにしているCinemoというサービスをしているユナイテッドピープルさん、関根社長は、本当にすごいと思う。関根社長こそ、現代の義士だと思う。サムライっぽい髪型だし。
ぶっちゃけ、全然知らないけど、あまり儲からなさそうだけど、その意義たるや!本当に素晴らしいと思う。
ぜひ、ぴあさんや、ヤフー映画さんや、映画.comさんにも、Cinemoのサポートする市民上映会の情報も網羅してもらいたい。

 

映画が良い理由として、もう1つ理由がある。
人は感情で生きていて、感情というのは、情報よりも遥かに高度でインパクトがある。感情だけが重要で、情報はその下支えというのが正しい理解だろう。

経営上やマーケティング上のテクニックとしても、感情に寄せていくべきなのは、もう明白になっている。
いま、「エモさ」をキーにしたサービスが伸びているのは、まぁ当然。
事業プレゼン1つとっても、ロジカルさ、より、エモさ、の重要性や評価が年々上がっていく。

「感情」をどう扱うのか、という点でも、映画はすごく参考になる。
起承転結をどう作るのか。
感情移入をどうさせるのか。
メッセージをどう伝えるのか。
まさにプロのお仕事!

 

・映画の上映イベントであること
・シリアス映画であること
・それについて、食事をしながら会話し交流ができること

自分で言うのもなんだが、こんなセンス溢れるイベントってないよな、って思う。ガイアックスのメンバーが参加すべきイベントってないよな、って思う。まさにお仕事。
そして、外部からでも、こういうセンスあふれるイベントに参加される方は、きっと接していて、刺激を受けることも多いでしょうし、視野を広げてくれる人になってくれるはず。
また、ガイアックスグループやガイアックスグループにいるメンバーの将来において、そういった人たちは、仲間になってくれる可能性が高いし、仲間になってもらった時に非常にプラスになる人だと思う。

そして、NagatachoGRiDの映画イベントって、独特の雰囲気を作っている。
映画上映中でも、気軽に席を立って、お酒を取りに行って、そして、ブッフェみたいなところから気軽にご飯を食べてる感じ。
最初から、ソファとか、クッションとか、いろいろなところにみんながくつろいでて、みんなが普通に会話している感じ。
映画が終わってからもみんなの語りが終わらない感じ。

ポートランドの映画館では、まさにこんな感じだった。
まるで友達同士で、で、リビングにいて、一緒に映画を見ているのと同じ雰囲気。

 

・私たちの仕事の目標を正しくセットし、より精緻に社会問題解決に活かすため
・今日時点でやっている私たちの今の仕事の意味をより深く理解し、より有意義に感じるため
・そういったお仕事をやっていくにあたって、良い仲間と集うため

僕も参加して、そういう方々との関係性を育みたいし、ガイアックスのメンバーはどんどん参加すべきだし、ブログをお読みの皆さんにもぜひ参加いただきたいし、そして、一緒に関係性を作っていきたい。

そもそも、ガイアックスを山根麻貴さんと一緒に創業したのは、そして、当時、ガイアックスという社名にしようと彼女が決めたのは、ガイアシンフォニーという映画を市民上映会で見たから。
その市民映画上映会が、このガイアックス、つまり、まだまだ小さいけど、とはいえ、数十億円規模の会社を、グループなど含めると、1000人近い人が働くような会社を作り上げたのだ。
やっぱり映画ってパワーがある。

NagatachoGRiDの映画上映イベントからも、いろいろなプロジェクトが立ち上がってくれると嬉しい。

コーポレートサイトは、人と思いとストーリーだけで構成されているべき

ガイアックスでは、オフィシャルサイトをブログにしている。
これには、いくつかの背景がある。

 

(1)ソーシャルメディアの会社だから!

ソーシャルメディア大好き!SNS等全部好きだけど、ブログも大好き!
CMSできっちり系のオフィシャルサイトでもいいんだけど、、、やっぱりブログだよね。

 

(2)そもそも組織だっていない

CMSで、大メニューがあって、中メニューがあって、小メニューがあって、、という感じで、組織だっていない。
オーガナイズされていない。
フリー・フラット・オープンな感じだから、箱に入れづらい。
だから結果的に、タグとかを使って整理することとなる。
更新順に、トップページに出すこととなる。
分かりやすくすることや、見えやすくすることは、大賛成!
でも、実態はわかりずらし、わかりやすくできない以上、これは、致し方ない。
ガイアな自然界というのは、立方体の箱の中に生物が行儀よく座っていないものなのだ。

 

(3)思いが大切

ガイアックスの社員総会「GaiaKitchen」では、多くのプレゼンターが、事業の今や、数字や、社会のニーズにどうマッチしたサービスを提供しているのかなどを、いっぱい発表してくれる。
話を聞いていて、感情が揺さぶられて、泣きそうになるものもある。
お客さんのニーズなんて、マーケティングな日本語ではない。お客さんの気持ちであり、感情なのだ。
もちろん、数字や利益が大切じゃないというわけではない。数字の裏に誰のどのような感情があるのか、が大切なのだ。

ガイアックスグループでは、事業責任者が自由に、事業ごとに事業部ではなく、会社の箱に切り替えることができる。
そして、その会社の株式を新規で50%発行して、ほぼ備忘価格で、事業責任者を含む経営陣やメンバーのみんなで引き受けることができる。
そしてさらに、その新会社の経営陣の判断で自由に、外部の企業や投資家に投資をしてもらって構わない。
ガイアックスも投資をすることもあるし、しないこともある。それは、事業責任者の意思決定範疇外ではあるが、ガイアックスからの投資受け入れも含めて、誰からどう集めるかは、事業責任者やその新会社の経営陣の意思決定なのだ。
投資家さんに向けて、、顔を見て、自分で説得して、信じてくださいと訴えて、そして、はじめて投資をしてくれた、そのお金。

当然ながら、無駄にはできない。当然ながら、何年かは我慢してもらうが、必ず何倍にもして返そうと思っている。
その気持ちがあってこそのお金であり、数字なのだ。

ガイアックスのお金も僕自身が創業から多くの投資家さんに出してもらって、そして上場し、多くの一般投資家さんに買っていただいている。
株主総会や決算説明会などで、多くの株主さんにお会いして、叱咤激励を頂いている。
その重さやそこにある気持ちを、自らファイナンス活動に関わることで、より感じてくださっているメンバーが、ガイアックスグループ内では増殖している。

思いを語るのに、誰が書いているのかわからない記事なんて、全く役に立たない。
誰が、どんな顔をした奴が、どういう使命を感じ、どういう気持ちで、どういう決意を語っているのか。それが重要なのである。

 

(4)データやお固い文章の裏にも気持ちがある

もちろん、いろいろなデータを開示することもある。その中には、マスコミの皆様が正確な情報を短時間で把握いただけるような形式に則った、プレスリリースのようなお固い文章もある。
それらも情報として、オフィシャルサイトに掲載するべきである。
ただし、そういった情報であったとしても、情報だけだと誰も読まないし、興味も持たない。その情報をどういう思いを感じて届けているのか、を伝えないといけない。

 

だからこそであるが、ガイアックスのオフィシャルサイトの記事については、これらのルールを徹底していきたい。

 

(1)誰が書いているのかを明確にする

記事のライターの写真や名前やプロフィールをきっちり明示すること。
そしてあくまで、「私の思いは~」、「僕の意見は~」というように、気持ちや自己主張な論調で書く形とする。

一方で、できれば、断り書きとして、ガイアックスグループとして、オーソライズされた考え方ではなく、コイツ個人の考えなのだ!とリスクヘッジしておいてもらいたい。てへ。
(リスクヘッジが目的ではない!検閲しないということを守りたいのだ!もっとも、言ってもオフィシャルサイトなので、トラブれば逃げ切れないだろうけどねー。)

あと、インタビュー記事であれば、インタビューアーだけでなく、インタビュイー(インタビューを受けている人)の人の概要も欲しいし、インタビュイーのプロフィールとの相互リンクを張ってもらいたい。そのインタビュイーの人のプロフィールを見た時に、その人が書いた記事ではなく、その人のことを書かれたこのインタビュー記事が掲載されていて欲しい。

 

(2)読者の方向けに、そのライターの位置づけや、記事の位置づけを最初に記載する

みんなの言うことって、放言過ぎるので、その記事の内容がそもそも一体何なのかが、頭に入ってこない。
ガイアックスグループは、事業内容も広いし。副業している人も多いし。

つまり、記事の頭に、「ガイアックスグループにおける、どういう位置づけの人による、どの事業の何についての記事なのですよ。」と簡単な説明文を入れてもらいたい。

 

(3)ガイアックスのメンバーの個人ブログや他のメディアでの記載された内容についても、オフィシャルサイトへの転載をどんどん行う

ガイアックスグループの社員のみなさんのうち、このクソ忙しい日々の時間を縫って、どこに、ガイアックスのオフィシャルサイトに記事を書いてくださる方がいるというのだろうか。いや、いない。正直、個人ブログや個人のnoteに記事を書くことですら辛いのに。

自分自身が、仮に、正社員1年目(でも、たとえば、まだ大学生兼)で、新規事業を作っているとしたら、その想いは、きっと、自分のブログや、noteに書くだろう。でもわざわざ、ガイアックス用に作らない。ねぇ、西村環希さん。
でも、ガイアックスのメンバーのその貴重な想いが、ガイアックスグループを表す貴重な情報だとしたら、オフィシャルサイトで紹介すべきだ。リンクを貼るのではなく、読者の方が楽なように全文を転載させてもらうべきだ。もちろん、転載元のリンクも載せておくが。

個人ブログや個人のnoteに記事を書くことですら辛いわけなので、それこそ、そもそものところで、個人ブログに記事を書くということであっても、その支援をガイアックスグループとして行うべきだ。全員が息を吸って吐くように、頭の中の脳みそをインターネット上に設置していくべきなのだ!

 

(4)感情をそのまんま書く

オフィシャルサイトの目立つところに、プレスリリースのみを掲載するのは、ダメだ!
この発表内容についての責任者やリーダーが、どういう思いでこの発表に至ったのか、どういう思いでやってきたのか、やっていくのかを述べる、というのが重要であり、それこそがメインコンテンツである。想いが伝わるのであれば、別に数行だって構わない。
そのメインコンテンツの下に参考情報として、ハードな情報であるプレスリリースの文面を付けておくという形が正しいのである。順番を間違えてはならない。ガイアックスオフィシャルサイトの読者のみなさまは、XML情報を期待しているロボットさんたちやサーバーくんたちばかりではないのだ。今日時点では、まだ「人類」な生命体が大多数のはずなのだ!

だから、感情をそのまんま伝えることが大切である。上田やガイアックスグループの経営陣への不満内容でもいい。マイナスなことは感情だけでなく、ある程度、ブラックユーモアなエッセンスを入れながら突っ込まないと、個人的には読んでてつまんないけど。で、自分自身はどうしたいかも、セットで無いとつまらないけど。あと、何より、あんまりキツイことを万人の面前で書かれちゃうと泣いちゃうけど。

他の会社さんとかで、「採用」とか「人事」のページに限って、ブログ形式にしたり、記事形式にされている場合がある。
少しでもこうやってネット上に、オフィシャルサイトの中に、感情が表に出てくるのは嬉しいなと思う。
急成長され、ガイアックスでもフル活用しているWantedlyも、普通の採用媒体メディアではあるものの、事業に関わる人の気持ちみたいなソフトな情報を大切にして、「募集要項」的なハードな情報を後回しにしていることに、価値がある。
もともとガイアックスでインターンで活躍してくださってた大堀海さんが共同創業者であるPR Tableもよく利用させてもらっているが、プレスリリースの世界で、情報ではなく感情を大切にされていることが、まさに急成長されていらっしゃる要因であろう。
結局、当たり前だが、人は感情で生きているのである。

翻ってガイアックスグループについてであるが、会社の一部や人事採用面のところだけが感情で構成されているのではなく、それこそ、ガイアックスグループに関わるアクション・トランザクション・リソース・組織などのすべてが、感情で構成されているものだと、考えて、定義して、活動している。それ故に、事実に基づき、それらの感情をお伝えしていこうと考えているのである。
そのため、オフィシャルサイトのトップページからして、ブログ形式なのだ。

読者の皆様だって、「情報」だけを求めてないだろう。

僕は、オフで暇な時、気力体力が十分な時は、決算書や四季報やビジネス書を眺めることができるが、疲れている時は、つい、ビジネス小説や空飛ぶタイヤやその他のネットフリックスとかに落ちぶれていく。僕の人類としての体が、感情を追い求めるんだもの。

もしも、オフではなくオンの時間帯においても、毎日毎日、会社やカフェでパソコンを開いて、そこらのドラマに匹敵するような内容のホームページを読んでていい毎日になったら、なんて笑けてくるんだろう。全く疲れない。あー。毎日働いてしまいそうだ。

 

「コーポレートサイトは、人と思いとストーリーだけで構成されているべき」
なんのことはない、
コーポレート、、会社やプロジェクトというのものは、人と思いとストーリーだけで構成されている。だから、そんなことは、当然なのだ。

 

シンガポールのシェアサイクル、3回ルール違反のユーザーは、全事業者による利用停止

週刊ダイヤモンド(2019年6月26日号)のシンガポールのシェアサイクルの記事を読んで、気になったのは、「3回ルール違反のユーザーは、全事業者による利用停止」である。つまり、シンガポールのシェアサイクル事業者は、ユーザー情報を事業者間で共有しているわけである。

この枠組みは、日本において、シェアリングエコノミー事業者間でも、ぜひ実装したい。一緒にやってくれるところ無いかな?
「ホストとゲストの利用規約違反者に関しては、他の事業者に共有する。」という規約に変更し、実際に他の事業者に共有したい。(シェアサイクル事業者間だけではなく、あらゆるカテゴリでの事業者間で共有したい。)
そして、「当サービスならびに情報共有する他のサービスでの利用規約違反の場合、サービス利用を停止する。」としたい。

こういう規約にした場合、どのような印象を、世間は、もしくは、ユーザーは、受けるだろうか。
「情報共有するなんて情報一元管理が進んで怖い。」
「個人情報保護の観点からそんなことが許されるのか。」
「ある1社の利用規約違反の判断は、そこまで正しいものなのか。」
「一度、レッテルを貼られると最後。現代のサービスでは何も使えなくなってしまうのではないか。」
「未成年も同様の扱いなのか。」
「時効のようなものは存在しないのか。」
「せめて、違反の事実のみを書くに留めて、取引をしようと思っているゲストないしホストの自己責任による判断で良いのではないか。」
と感じる人が多いのだろうか。

もしくは、
「他サービスで違反をした人を外すのは、ルール違反者を外すことになり、安心だから、ぜひ進めてほしい。」
「いろいろなサービスをホッピングして、ルール違反や犯罪をしている人を撲滅させることができるので、必須のはず。」
「そもそも他のサービスも使えなくなるという抑止力こそが、サービス内でルールが守られる力学になるのではないか。」
と感じるものなのか。

僕としては、まるで監視社会じゃないか&情報共有をしすぎていて怖い、と思われるかもしれないのだが、それでも、共有してでも、業界全体の違反者の発生を可能な限りゼロに近づけたいと思っている。
個人情報保護なども含む、いろいろな法律を確認した上ではあるが、また時効の設定なども必要になるが、このようなサービスを、まずは、親密先の事業者と一緒に取り組んでいきたい。

 

良くも悪くも、また、望もうが望むまいが、監視社会になっていくのは、もう自明なことである。
数年前のアルバイト先でのちょっとしたおふざけが、その人のキャリアをぶっ壊すわけである。数年前のちょっとしたつぶやきが、その人の人格否定となって、マスコミを賑わすわけである。
国民全員が理解していることであるが、アルバイト先でのおふざけが、ここ数年増えているわけではない。ちょっとした田舎でちょっとした不良が、当然のように学校の窓ガラスを割っていた時代からここ最近に向け、そういう「おふざけ」は、全体量としては急激に減っているものの、その1つ1つが、きっちり見つけられ、全国ニュースとなり、きっちりと犯人が特定され、当該店舗の売上激減につながり、損害賠償を受け、その子供を持つご家庭が悲惨な目になるのである。
そして、もれなく各企業は、そんなことにならないように予め、ガイアックスやアディッシュが提供する、ソーシャルメディアリテラシーの研修を全従業員に受けさせた方が良かったと後悔するのである。宣伝!

シェアリングエコノミー産業は、プロが提供するサービスに比べて、安全性が低いのではないか、と言われることがあるが、決してそんなことはない。
現代のサービスであるシェアリングエコノミーは、ありとあらゆるものを記録し、保存しているわけである。たとえば、ライドシェアの場合、すべての移動経路を指示され、すべての移動経路を記録され、全ての乗客からドライバーのレビューが入り、少しでもレビューが下がってしまうと、二度とドライバーの仕事にありつけなくなるのである。

 

先日、深夜に恵比寿と目黒の間ぐらいから、渋谷の方にタクシーに乗ったのだが、その時の話。
タクシーを拾うべく、こちらに向かってくるタクシーに手を挙げたが、なかなか止まろうとしない。手を挙げても気づかないのか。道路に出て、手を振っても、僕の方に普通のスピードで向かってきて、まったくスピードを落とさない。怖くなって横に避けたが、直前になってやっと気付いてくれた。
そのタクシーに乗ってから、そこでやっと気付いたのだが、その運転手さん、暗いところがよく見えていないみたい。途中、道路の中間分離帯にもぶつかりそうになるし、最後の目標物の看板も本当に近くに来るまで、見つけてくれない。
無事僕は目的地に到着したが、そのドライバーさんはそのまま走り去って、次のお客様を探しに行くわけである。

どういう体験であれ、ありとあらゆるサービスを受けた時に、全てが記録できるような世の中に切り替えていきたいと思う。
もちろん、僕だって既存サービスについては、日常生活において、レビューをサボっている。
食べログもほとんど書かないし、ホテルのレビューもほとんど書かない。通常のサービスにおけるレビュー投稿率は、1%程度であろうか。いつも、イマドキを生きる人として、最低限の義務として、ダメだダメだと思いながら、ついレビューを書かない。そして、タクシーの運転手さんについてのレビューは、書きたくても、システム的に書くことができない。いや、違った。ハガキに書いて投稿すれば、万人が見ることができないが、一応フィードバックができる。ハガキ。
しかしシェアリングエコノミーサービスにおいては、僕のレビュー投稿率は高い。基本は100%ではないだろうか。メルカリ、ヤフオク、Aribnb、Uber、TABICA、ココナラ、ランサーズやクラウドワークス、ありとあらゆるサービスでちゃんとレビューを書いている。

 

レビュー、、、あぁ、考えるだけで、すごくいい。

あるサービスを受けようと思った時に、過去にそのサービスを受けた人全員の脳と瞬時につながって、その人たちのサービス利用後の生々しい感情が、そのつながった線から僕の脳に流れ込んでくるのである。

僕を見かけた人は、過去、僕と触れ合った人全員の脳と瞬時につながって、僕とその方々との交流で発生した生々しい感情が、見かけた瞬間にその人の脳に流れ込んで行くわけである。
あぁ、日々、油断せずに、精進して生きていかねば。

シンガポールでシェアサイクルが消えてしまう

シェアサイクルが十分にあったはずのシンガポールにおいて、規制強化に伴い、かなりの事業者が撤退することとなった。

週刊ダイヤモンド(2019年6月26日号)からのポイントを整理すると、
−−−
●事業者に免許制を導入
→まぁ妥当かな。
●自転車の登録台数の上限設定
→かなり少なめの数値設定とのこと。残念!
●利用者が指定駐輪場に止めるまで課金が続く仕様とする
→指定駐輪場という概念は違うと思う。
●3回ルール違反のユーザーは、全事業者による利用停止
→すごいルール!
●ルール違反の事業者への罰則強化
→これはまぁ妥当かな。
−−−
とのことである。

自転車が減り、駐輪場が減り、利用者が減り、事業者が採算が合わなくなり撤退し、、、ということで、ネガティブスパイラルに入っちゃっているわけである。非常に残念である。まぁありえない。

これは、シェアリングエコノミー協会、代表理事として、の発言ではない。
トライアスロン大好き、自転車大好き人間の上田として、のコメントである。

はっきりいうが、絶対にこのシンガポールの規制強化は、間違っている。バカじゃないかと思う。
ちなみに、日本においてもシェアサイクルは全然普及していない。その理由は明白だ。シンガポールと同様に路駐が許されていないからだ。だからと言って、公共が十分に駐輪場を用意しているわけでもない。

 

中国のシェアサイクルを見て、いろいろな意見を言う人がいる。
・自転車がたくさん捨てられている。有り余るほどの自転車があり、社会問題だ。
・事業者の多くは、経営難になり、やっぱりシェアサイクルのシステムは社会において間違っていた。デポジットを返していない事業者もあり、消費者は欺かれた。

中国のシェアサイクルがたくさん並んでいる風景を撮した写真。あの写真に、インパクトを感じられた方は多いとおもう。あの写真をブログにアップして、これはいかがなものか、という論調は多い。

たしかに事業者の経営判断ミスもあろうが、そもそもの経営判断は、日本にいる普通の経営者の日頃の経営レベルに比べ、遥かに高度なレベルでの話であり、そこら辺にいる日本人が気軽に突っ込めるレベルでの話しではない。いわば、日本の大学のバスケサークルのメンバーが、NBA選手の判断ミスをあざ笑っているようなものである。

だいたい、社会全体の意思として、シェアサイクルをもっと普及させていないのは、本当に間違っている。バカだ。
現在の日本のシェアサイクル事業者は、この厳しいマーケットにおいて、よくもまぁ日本人のためにシェアサイクル事業に参入し、頑張ってくださっていると思う。まさに真の貢献者である!

ドコモ・バイクシェアさん、いつもお世話になっています!僕は、かなりのヘビーユーザー。
コギコギさん、地方都市などで、低価格に導入を可能されてがんばっていらっしゃる。
ハローサイクリングさん、勢いよく伸ばされている印象が。
その他、多くの会社ががんばっていらっしゃる。

 

●普通に自分の自転車に乗るよりもシェアサイクルが良い理由

君は、自転車が普及し、通勤など日頃の交通手段として普及しているオランダの、駅前などの自転車置き場を見たことがあるか?

オランダにおける大抵の自転車置き場は、かなり広大なスペースであり、そして、そこにかなりの数の自転車が並んでいる。その光景は、壮大すぎて、笑いがでてくる。広々としたスペースに地の果てまで自転車が埋め尽くされ、並んでいるのである。

なぜそのように並ぶのか。
それは、そこに置いている、ある一台の自転車は、その所有者しか利用することができないからである。なんと、人の数だけ自転車の数が必要なのである。

それに比べたら、当然であるが、中国の自転車の量なんて可愛いものである。
なぜ、シェアサイクルの普及している中国では自転車の量が少なくて済むのか。そこに置いている自転車は、万人が利用することができるから、絶対的な量は少なくて済むのである。どうせ、自転車なんて、長くても、1回に30分とかしか乗ることはない。だから1台を20人とか30人でシェアすることができるのである。

シェアサイクルの路駐がダメって言っている時点で、ナンセンスなのである。普通に自分の自転車だったら、普通に路駐をしている人は多いのではないだろうか。
つまりシェアがダメなのではなく、自転車が普及し、絶対量が増えたら、それだけで普通に問題になるのである。少なくとも、普通に一人一人が自分の自転車を乗って止めるより、必要となる駐輪スペースは、そして、問題になるレベルは、シェアサイクルの方が、数分の一とかになる時点で、セーフティなのである。
中国では、残念ながら、シェアサイクルが便利すぎて、数十倍とかの規模に伸びちゃったから、シェアサイクルが槍玉にあがって問題になっているだけである。

 

●自転車がそもそも良い理由

君は、今、都市にある道路の使われている面積を100とすると、自動車、歩行者、自転車、それぞれにどのぐらいが割り当てられているか、分かるか?
僕の目視という、統計的に全く信用のおけない統計結果では、自動車:歩行者:自転車で、90:9:1である。
もちろん、自転車用の青い専用通路が、最近は、少しずつ出来てきてはいる。信号や道路が斜めに分かれるごとに、急になくなったり、復活したりするやつである。そして、上にきっちりと何台もの路駐車が停まっていて、まったく真っ直ぐに走れないやつである。左折の度に、左折車が左ギリギリに寄ってきて、いつも怖さを感じるやつである。

君は、自動車に通常、何名が乗車しているか知っているか?
同じ統計手法では、だいたい、多くは1人である。もちろん2人のこともあるが、まぁなかなか3人とか4人とかっていうのは見ない。

次に、君は、1人だけで乗っているだろう自動車と、自転車の占有面積は、どのぐらいの比率になるか分かるか?
まぁ自転車5台分ぐらいのスペースを、自動車1台で占有しているわけである。それが駐車中の話なら、車1台のスペースに自転車10台は設置できるのではないだろうか。

改めて説明すると、僕たちは、僕たちの都市の道路において、超「省スペース」な自転車に、車用の道路の何十分の1のスペースだけを割り当てた挙句に、そこを溢れた瞬間に、「危険だ!」、「邪魔だ!」って叫んでいるだけなのだ。4車線のうち、2車線を自転車専用道路にするとか、自転車の駐輪・路駐スペースに当てるとか、もっと自転車ナイズされた都市になれば、余裕すぎて、絶対に危険だなんてことはない。ただでさえ、自動車と比べて、危険な事故が発生するわけないのに、もしも、自転車ナイズされた都市になれば、もっと危険度は減るだろう。

東京の駐車スペースを一気に半減させて、そこに自転車置き場を作れば、いくら普及したところで、絶対に自転車の路駐が問題になるわけがない。絶対にガラガラで埋まることはありえないだろう。道路の一部を、ところどころ、パーキングメーター設置の駐車場にしているが、同様に道路の一部を自転車置き場にすれば、さらに自転車で満車になることもまず想定できない。しかも個人所有の自転車ではなく、シェアサイクルなら、数倍、スペースを圧縮できる。

きっと車は、停めるところがなくなって困るだろう。その上で言いたい。車なんて、邪魔で危険で社会的に悪なんだと。
そして、車ばかりが並んでいる道路の写真を撮って、ブログにアップして、言いたい。こんなに車が並んでいるのですよ!と。

 

●体を動かすこと

そもそも一番言いたいことはそんなことではない。
何より、移動をするのに、自分で体を動かして移動をすることができる自転車がいいのだ、っと言いたい。
人生において、特に、忙しくてタブレットやパソコンに向かいがちな社会人人生において、体を動かすこと、運動をすること、これはかなり優先度の高いことである。

分かるかなぁ。自分の力でペダルを漕いで、前に進んでいくその爽快さ。トライアスロンの競技、3つとも大好きだけど、自転車も本当に大好き。もちろん、東京オリンピックの観戦でも、真っ先に、トライアスロンを申し込んだよ。開会式や閉会式なんかより、一番見てて楽しい時間になるはずだよ。
まぁ東京オリンピックのチケット、申込み大変だったし、その挙げ句に、全滅だったけどね。

自転車に乗って、そして、iPad Miniを入れたメッセンジャーバックを担いで、スニーカーとクロップドパンツで、都内を回る気持ち良さ。

車で移動とかって、すぐに運動不足になりそう。中西部のアメリカって、家の前の車に乗って、オフィスや店先まで車で移動したりするけど、マジで信じられない。致命的な運動不足になりそう。太っちゃって、元に戻れなさそう。
自動車、、まさに自動化。そのうち、人類は、口にチューブを挟んで三食を済ませるようになるのだろうか。

それに比べて、やっぱり自転車は最高!
レース中の自転車も、汗をかきながら、水を浴びながら、山を登りながら、海な景色を見ながら、最高の気持ちになれる。
だけど、街中の自転車ライド、特に春や秋の天気の良い日なんて、本当に最高!移動途中にあるカフェやニューオープンのレストラン、おしゃれなショップを覗きながら、風を感じて走っていく感じ。

やっぱり、自転車がサイコー!
もはや、シェアとか、シェアじゃないとか、どうでもいい。
自転車は、ともかくオススメなのだ!

社会システムよ!早く来い!そのためにも、みんな、自転車に乗ろう!

アイアンマンというビジネス

すごくお腹が空いた。

トライアスロン、ロングディスタンスを完走したから、かなり体力を消耗しているし、その後ずっと、すごくお腹がへって、ずっといろいろと食べたくなる。ピザを食べたい。今、食べたいのは、イタリアな美味しいピザじゃなくて、アメリカな頭の悪い方のピザ。
ここまで体が食べ物を欲するのは、きっと身体中のエネルギーのバッファが使い果たされているからなんだろうと思う。

 

今回、フロリダのアイアンマンの大会に出場した。
直前までフロリダのマイアミビーチで開催予定だったが、1ヶ月前にまさにマイアミビーチに上陸したカテゴリー4のハリケーンマイケルの被害が甚大で、急遽3週間前に、会場が同じフロリダのオーランド近くに移った。
ハリケーンのニュースを見た時には、間違いなく中止だろうと思っていたが。こんなに短期間で切り替えて開催できるなんて、道路占有許可などが大変な日本では、とても考えられない。トライアスロンのロングとなると大会を開催することは、かなり大変なのだ。マラソン大会なら手配すべき距離は、40km分で済むが、バイクもあるので180km分も占有が必要なのである。ボランティアも100人単位で必要なのである。

海外で大会に出るのは、15年ぶりぐらい。しかも、前は、ロタでショートの大会だったから、アイアンマン、つまりロングでの海外での大会は初めての体験なのだ。申し込んで以来、楽しみにしてたから、なんとか開催されると聞いて、すごくびっくりしたし、すごく嬉しかった。

 

ちなみに、アイアンマンは、一般名詞ではない。WTCというある企業が提供するブランドのことである。
当たり前だが、トライアスロンのレースは、誰だって開催できる。僕の大好きな鳥取県の皆生温泉の大会は、地元の協会が主催の「全日本トライアスロン皆生大会」である。ほのぼのとして良い大会である。スイムやバイクやランの距離も彼らが自由に設定している。
しかしながら、アイアンマンのブランドをつけて大会を開催するには、WTC社の設定するレギュレーションに従って、そして、WTC社にロイヤリティを支払って、開催するのである。距離も指定されており、自由に設定できない。一律、スイム3.8km、バイク180km、ラン42kmである。
アイアンマンの大会は、結果として、世界中の各地で開催されていて、年度ごとにその成績優秀者は、その年のハワイの大会に参加することができる。憧れのコナの大会である。
他にも、そのコナの出場できる要件もあり、累積参加回数によって、条件が優遇されるなどもあるそうだ。今回、同じチームとして、ご一緒させていただいた弁護士先生は、今年だけで世界中のアイアンマンに4回目の参加、とのこと。すごい!

大会主催者が、そのWTC社に対して支払うロイヤリティは、大会1回開催あたり、50万ドルとかそういう水準だとのこと。トライアスロンは、オープンウォーター(海や湖でのスイム)の大会やマラソンの大会と違って、いろいろなところで制約条件が掛かるため、参加人数を増やそうと思っても2000人やそこらが上限である。2000人でその高額なロイヤリティを賄うわけなので、道理で参加費が高くなるわけである。会場では、アイアンマングッズの販売もあり、飛ぶように売れている。もちろん、それらも割高価格なのだが。
まぁ、そのロイヤリティを支払って、アイアンマンブランドを冠した方が、ただの地元のトライアスロン大会より、世界中から参加者も集まってくるし、予約などのシステムもあるし、リアルタイムで選手のタイムが分かるウェブサイトなどもあるし、実際のレースのルールなどの運営もかなり手馴れたものであるし、運営にとって、良いところも多い。
いわば、自分でハンバーガー屋さんをするより、マクドナルドに加盟した方が手取り早く、良い事も多いわけである。

また、アイアンマンだと、当日までの盛り上がりが全く違う。
会場では、音楽がガンガン掛かりながら、マイクを持った司会が雄叫びをあげながら、選手のみんなを盛り上げていく。
「会場を変更することで奇跡的に開催ができたぞ!」みたいに叫び、会場のみんなからも「ウォー!!!」という感じになる。
「今回、道路の占有はしてないぞ!主要な交差点では、レースを優先するように案内の人はいるし、車は少ないから大丈夫だと思うが気をつけて!」みたいなルール説明でも、ノリノリのアナウンスである。
しかも、たかが、「車の鍵の落し物がありました。」程度のお知らせすら、同じノリでアナウンスしてくる。おかげで僕の英語力だと、どれが重要なお知らせか分からなくなってしまう。この盛り上がりこそが、さすが、アイアンマンの運営である。

 

WTC社を見ていて、どこにもでも儲かるビジネスはあるものだな、というか、儲かるビジネスというのは、どこからでも作れるものだなと思う。
たかがトライアスロンという狭いカテゴリのスポーツなのに、ロイヤリティ中心のガッツリ利益率の高い仕組みが生まれてくる。さすがこの世は、資本主義である。なんと年間営業利益60億円超とのこと。恐ろしい。
そして、そのWTC社を3年前ぐらいに買収したのが、中国の資本である。可能な限り短期間でのキャピタルゲインを獲得しにいくのが、利回り向上の有力手法でもあるし、それが故に売却しにいくのだろうし、そして、資金に余裕があり、高いブランド=ブランドによる独占がもっとも安定的な利益の源泉となる、のある会社なら何でも買えてしまうのが、パワフルになりまくっている中国なんだろうと思う。

 

そんなアイアンマンに参加してきたわけである。

僕たちのチームは、準備期間からは、オーランドの近くの「セレブレーション」という都市に滞在した。
思ってたより、寒い。僕のフロリダのイメージと違う。寒いの嫌い。暑いの大好き。夏が大好き。夏を求めて、フロリダのアイアンマンに申し込んだのに。勘違いだった。
前日の夜なんて、気温16度。東京の11月よりは暖かいかもだけど、持って行ってたTシャツじゃ過ごせないじゃないか。しかもレース当日の天気予報は、夕方に雷雨。
フロリダの海岸で、真夏な太陽を浴びて、オレンジを食べるつもりだったのに。

 

そして、レースの当日。朝4時に起きて、そして、朝6時30分、夜明けと共にレースが開始である。

まずは、スイムを3.8km。
今回は、オーランドの近くなので、海はなく、残念ながら湖での開催。湖と言っても、もっさりとした池のような感じ。茂みとか藻とかがいっぱいで、とてもじゃないが、澄んだ湖ではない。

泳ぎながら、やっぱり、アイアンマンをやるって、マジでバカだなぁ、って思う。

1.9kmのコースを2周するわけだが、100mだって、連続で泳ぐとなるとたいした距離である。周りの選手たちとただただクロールで湖を泳いでいくのだが、正直、終わりが見えない。
やる事といえば、ずっと泳ぎ続けて、やっと次のブイにたどり着き、そして、休みもせず、次のブイに向かう。横で泳いでいる人もそうである。何をしているんだろう、本当にバカだなぁって思う。
泳ぐ距離が長すぎるから、1周、つまり半分が終わって、やっと一度、陸に上がれたタイミングで、「もう一度、僕は、次の2週目に突入するのか」と自問自答するぐらいであった。

だいたい、僕は特に綺麗好きだし、こんなクロールで伸ばした手の先すら見えない濁った水で泳ぎたくない。そもそも、こんな汚い水に入りたくない。岸周辺で足のつくところは、ヌルッと嫌な感じがしているし。

ちなみに、フロリダは、アメリカの中でダントツでワニが生息しており、ワニの被害も多い。2、3年前にも、このオーランドのディズニーランドで4歳の子供がワニに襲われたばかりである。ディズニーランドというアミューズメント施設の中でワニみたいな猛獣に襲われるなんて事があるというのが、本当に信じられない。それぐらいワニは、フロリダにおいて、日常である。

この湖はどうだろうか。現地のレースのスタッフに聞くと、「もちろんこの湖にもワニはいるよ。あっちの茂みの方かな。でも、少なくとも、昨年、別の大会で、この湖を使ったけど、その時は誰も襲われてないよ!」とのこと。
僕たちのチームのコーチは、前日の移動中の車の中で「ワニは、噛みついたら獲物を殺すために、自分の体をクルクルと回して、噛みちぎるのだそうで。なので、噛み付かれた時に重要な事は、それに抵抗してはダメで、死なないためにも、逆にワニに体をつけて、一緒に自分の体を回すのが大切らしい。」とアドバイスをつぶやいていた。ありがたいアドバイスである。

レースの中では、終わりなく、半永久的に泳いでいる、この濁りの下にワニさんが舌舐めずりしているかと思うと、本当にバカじゃねーかとしか思えない。僕は、フロリダの熱い夏のきれいな海のつもりだったのに!

 

1時間20分ぐらいを掛けて、3.8kmを泳ぎ終わった時には、すごい達成感。これでやっと残り15時間ぐらいのバイクとランの競技に移れる。

バイクは、比較的、良いコース。概ねフラットな感じで、まわりは、牧場で、牛とか馬が居たり、アメリカな的な広い一軒家が続く風景が広がったり、大きな湖(きっとワニがいるだろう)が広がったり。湖も外から見る分には、風景として、すごく良い。
しかし、ともかくバイクの180kmは、長い。時速20〜30kmで飛ばし続けれたとしても、長い。180kmといえば、大阪〜名古屋間ぐらい。
誰がこの競技を考えたんだろうか。なぜ180kmも走らなきゃならないんだろうか。本当に、この競技を考えた奴、そして、この競技をやっている奴、バカじゃないかと思う。

途中、80km地点ぐらいのところ、だいぶ先の方で、10人ぐらいの選手が、制止されて、立ち止まっている。レース中だとというのに、どうしたのだろう。
そして、僕の後ろから、救急車やらパトカーやらが、けたたましくサイレンを鳴らしながら、その人だかりのところに急行していく。
到着して見てみると、案の定、バイクと車の接触事故である。数名の警官が一旦、交通整理をしている。
事故の現場を覗くと、バイクと選手が道路に投げ出されていて、その選手は、警官の一人に頭を下から支えてもらっていて、そしてその頭から血が出ている。アスファルトに広がる血の跡。大丈夫だろうか。意識はあるように見える。無事でいて欲しい。見なきゃ良かったと思いながら、じっくり見てしまう。

別の警官は、バイクが通れる道を整理してくれた。そして、すぐに僕たち10人は、残りの100kmを終わらせるすべく、その横の道を通って、元気に走りはじめるのだ。

 

バイクが終了したのは、もう夕方の4時。少し日暮れを感じる空模様になってきている。
最後の競技は、ラン、すなわち、フルマラソン42kmである。

バイクからランのシューズなどに着替えるトランジションでは、選手同士でも、いろいろとお互いに声を掛け合っている。
まぁ、「Good job!」とか「がんばろう!」は、まだ分かる。
「あと少し!」「やっと、あとマラソンだけだ!」

どこの世界に、「やったね!あとフルマラソンだけだ!」という会話が存在しうるのだろうか。バカとしか、思えない。

 

ランは、最初に10kmを走った後、10kmの湖の周りを3周するコースとなっている。

25kmぐらいまでは、まぁなんとか頑張れた。
時差ボケと、睡眠不足と、疲れのせいだろうか、走りながら、フラフラし始めて、途中、目をつぶりながら、走っていた。強烈に眠い。
ちょうど走っていると、チームのコーチに出会えた。
ホッとして、そのまま、道端の木の根のところに倒れ込んだ。眠たいし、寝ようともしたが、寝ている感じでもなく、でも、夢みたいなのを見ている感じ。
そんな中、上から、どんどん雨が降ってきた。うーん、ある意味目がさめる。
結果的には、倒れ込んでから、10分ほどで出発。パラパラとした雨のおかげもあり、だいぶ元気を取り戻した気がする。

 

パラパラとした雨が、どんどん大雨に変わっていく。そして、天気予報通りの雷雨へ。最初のうちは、靴や靴下を濡らすまい、と、水たまりを避けて走っていたが、全く意味がなくなってくる。あまりに豪雨過ぎて、そのうち、数mに渡っての水たまりがどんどん増えてきて、坂道に至っては水流にとなっていく。僕は、その水の中に、ズボズボと自分の靴を突っ込んでいく。

そして、寒い。僕は、寒がりだし、寒いのが嫌いである。あまりに寒くて、あるエイドでテントの下に入って雨を凌ぎながらガタガタ震えていると、見かねたスタッフさんが、大きなゴミ袋に頭を出す穴を開けて、体の上からズッポリと掛けてくれた。走りづらいことこの上無いが、豪雨には、バッチリ対応できている。ゴミ袋のおかげで、すごく暖かい!
なんでこんな中でこんなカッコで走っているんだろう。本当にバカだなぁって思うことばかりである。

 

ランのエイドステーションで用意してくれている食べ物として、オレンジが出てきた。
それまでは、レースで、ほぼほぼ変なものしか食べてなかったので、すごく嬉しい。
トライアスロンレースでは、朝6時から深夜まで行われるので、そして大量のカロリーを消化するので、当然にレースをしながら、食事をしなければならない。
そこで、ジェルと言われる食べ物がある。ねちょっとしたチョコの濃いのとか、ジャムの濃いのとかみたいな食べ物が小さなパックに入っている。それぞれ、ストロベリーとかレモンとかっていう味が貼り付けられている。これらのジェルと言われるものは、吸収が早く、荷物にもならず携帯しやすく、エネルギー量が多い食べ物だそうだ。きっと未来人の主食だろう。トライアスロンレースでは、ほぼほぼみんなこれを食す。同じチームのメンバーは、ロングのレースでは、これを12個食べると言っていた。
僕も食べるのだが、変な食べ物すぎて、つらい。
前日の打ち合わせのタイミングで、コーチからは、即席味噌汁の味噌のところだけをもらった。即席の味噌汁のパックを開けながら、「上田さんは、具は要らないですよね?」っていう謎の質問を投げかけられた。どうやら、味噌汁の味噌パックは、塩分も多いので、失われた塩を補充するのに、味噌のパックだけ携帯して、レース中にそのまま舐めるそうだ。レースで疲れて汗をかくと味覚が変わる。味噌も美味しいのかと期待したが、レース中食べてみると、普通にまずい。なんのことはなく、普通に現世の人の食べ物ではない。

それらに比べてオレンジって、なんて、ちゃんとした普通の食べ物なんだろうか。
ジェルとかでその日の1日のエネルギーを補充していただけに、「僕は、フロリダの大雨で、寒い中、住宅街でのオレンジを食べたいんじゃないんだ!真夏の太陽なオレンジを食べたいんだ!」と思いつつも、喜んでオレンジを食べまくった。

 

3周回の最後、大雨もほとんど上がり、泣いても笑っても、残り10km程度。残り10km、このまま行けば、タイムはボロボロながら、完走できる。
疲れ果てて、もうしっかり走れるような状態でもないが、がんばって、ジョギングなスピードで、もう夜の9時、真っ暗な、コースを走り続ける。僕の前にも後ろにも、ゼッケンをつけたゾンビたちが、僕もその一員であるが、みんなで、ゾロゾロと走り続ける。

1周目の頃は、近くのアメリカっぽい一軒家の街並みから、たくさんの賑やかなカッコをした人が音楽に踊りながら、応援をしてくれていたが、今は、大雨があったせいか、ほとんど応援の人はいなくなっている。でも、そこら中のご自宅から、大音量のポップな音楽は、そのまま流してくれている。

 

大雨の後は、すごく空気が澄むのだろうか、もしくは、涼しさのせいだろうか、空気がピンと張って、遠くまで見渡せる。すごく綺麗だ。森も街並みも雲もすごく綺麗だ。
パラパラな雨の中、夜風がすごく涼しくて、夜空がすごく綺麗で、道に流れ出てくる音楽と遠くの雷の音が心地よく、僕の身体はもう全力を使い果たしていて、でも、そして、走り続ける。
このフロリダのトライアスロンのこの感覚、この風景、この雰囲気は、忘れられないだろう。トイレを我慢しているのが気になりながら、一方で、こんな体験ができるなんて、僕は、なんて幸せなんだろうと泣きそうになってしまう。

 

20歳のころ30歳の頃もいろいろとあったが、ここ最近、ここ1年も、また、いろいろな事があった。
たくさんの人に多くのご迷惑を掛けたし、そして、みんな、いつも優しくいろいろとサポートしてくれている。
最近でも、悲しくて悲しくて、泣き続けたことも何度もある。
でも、この綺麗な夜空に包まれて走っている瞬間、すごく幸せを感じる。これは、幸せそのものだ。そして、これまでもこの人生で、信じられないぐらい幸せなことが、たしかにいっぱいあったってことを思い出す。

どう考えても明らかにバカなこと、それをやり続けて、やっと、頭では理解できないような幸せを感じれるゾンビになれる瞬間がある。

この瞬間が、永遠に続いてほしいなって思う。疲れ果てて、走れる限界を超えて走っているから、もう走れないんだけど、この夜景の中でずっと走っていたい。

きっと、この瞬間は何の意味もなくて、そして、すごく刹那的なものだと思う。
でも、人生は、こういう幸せを一つずつ噛みしめることがすごく大切なんだと思う。