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伊藤レポートを読んだ。
Facebookで藤野さんが取り上げられていたので。

結論!
ガイアックスを経営していく中で、
早く、伊藤レポートの主旨が、適切に適用すべきような、立派でまともな会社になりたい!

 

当社なんて、まだ新興マーケットに上場している会社で、ひよっこ過ぎて、ちょっと普通に適用は難しいなと思った。
売上もゼロに等しいような規模だし、時価総額も含めて、吹けば飛ぶような会社なので、いろいろとこのレポートに記載の内容とは、ちょっと雰囲気が違うところもあるな感をすごく感じた。
投資家さんも、機関投資家さんというか、個人投資家さんが多いですし。

一方で、さすがなるほどなと思う素晴らしい記述が多かった。もっとこういう感覚が広まるべきですね。
しかしながら、可能なものなら、もっと素晴らしい未来を夢見たい。

そういった感想を、だらだらと書くことにした。
(※ちなみに、本当にだらだら書きすぎて。分割してアップすることにする。)
伊藤レポートがどうとかではなく(このレポートは間違いなく素晴らしいものなので)、そこに取り上げられている「企業と投資家の望ましい関係構築」というものに対する感想とか。

言っても、最終報告書の「要旨」しか読んでいないので。
且つ、iPhoneで読んだ感じなので読み飛ばしもあれば、誤解や読解力のなさによる勘違いもあるだろうし。
しかも、伊藤レポートを見ながら、このエントリを書いてない。読んだ第一印象を元に、その数時間後に、このエントリを書いている。
ということで、このエントリには、間違いだらけな感じがする。

(でも、いいのだ。僕は、もっと「間違ったことを自分のブログに書きたい」。これを今年のブログの目標にしよう。)

 

 

伊藤レポートを読んだ(1) 死ぬこともある。死ぬからこそ、生きている。

・解散することも良いこと

持続的成長っていう単語が、ちょっとフィットしない。

企業というのは、自然として、持続的成長だけではなく、持続的に縮小していくケースとか、解散するケースとかもありえる。
縮小していくのや解散するのは、残念なケースなのではなく、状況によっては、正しく、そして、良いケースであり、大切なのは、経営として、これらのオプションをもっと積極的に選択することである。

社会や顧客から必要とされている間は脈々と存続すべきである。
ただ、ニーズがないなら、縮小や解散を選択すべきである。無理に次のビジネスのために研究開発をするべきでもないし、しっかりと適切なサイズにダウンして、収益を最大化すべきだろうと思う。

 

・解散が良いパターン

たとえば、PBR1倍割れ、つまり、全部の資産を売却すると100円になって、無借金で、今、時価総額が80円なら、株主からの解散命令が下されているような状態。
解散を選択すると、理論上、株主の皆さんは、喜ぶ。

そもそも、こんな状態にせずに、PBR1倍超えはやっておけよ、は、もちろんそう。とはいえ、こんな状態になっちゃったことはダメだが、こんな状態になった以上は、解散を選択してたほうがまだまし。

(実際には、需給ギャップでの株価下落の方がありえる線なので、思い切った自社株買い・配当で、PBR1倍は簡単に超えると思うが。そういえば、ガイアックスも、昔、3割を超える自社株に対して公開買付(自社株TOB)をした。あと、株価に対して2割の配当をしたよ。そしてもちろん配当で手にした現金で株を買いに行く人も多かっただろう。これらは需給ギャップの改善に役に立ったと思う。)

理論的には、必要に応じて、解散という、そういう適切な判断が下せるようにならないといけない。特に、シンプルな単品ビジネスをしていると、よりそうではないかと思う。
次のビジネスを思いついており、順調に立ち上がってきていれば、事業の軸足をスライドしていけるが、そうでない場合は、さくっと解散したほうが、社会のため、みんなのためだと思う。
無理にゴーイングコンサーンにする必要はない。

 

・縮小が良いパターン

もちろん、サービスを期待している顧客がまだまだ多く存在しているのであれば、無理に撤退してはならない。それは顧客に対する罪だ。その場合に、やるべきは縮小しながらの持続だ。
縮小をするという選択も、縮小していくマーケット状況であれば、正しく、素晴らしい選択である。

会社は、必ず、ROEから資本コストを差っ引いたもの、つまり、過剰収益を出すべきである。
しかし、必ずしも、「持続的成長」を実現しなければならないわけではない。

縮小イコール赤字ではない。縮小イコール低ROEでもない。マーケット縮小時に、無理に生き延びようとせずに、撤退していく同業他社を見ながら、市場占有率をさらに上げつつ、粛々とコストカットや組織のダウンサイズをしていくことで、過剰収益を出すことができる。
無理に経営陣がエゴを出して、存続や成長を追うと、過剰収益を捻出できなくなってしまう。

過剰収益を出しつつ持続的成長をする会社や、過剰収益を出しつつ縮小していく会社や、解散していく会社があって、そういったたくさんの種類の会社が存在する「社会」全体で、持続的成長を目指すべきでだろう。

 

・過剰収益はどのように獲得できるのか?

縮小すること、解散していくことを、当たり前に捉えつつ、やはり、もちろん、持続的成長であることが素晴らしいことだとも思う。

過剰収益は、何かしらの強み、偏り、独占や寡占、ユニーク、パラノイア、などがないと導き出せない。

会社が継続しているからこそ作り上げれる価値はある。というか、会社の競争力は、ほぼ継続の中から生まれるのも事実だ。その最たるものが、信頼感だと思う。

社内における相互の信頼感、
自社に対するステークホルダーからの信頼感、
経営を続ける中で、このステークホルダーは信頼できるというナレッジ。

0から急に作った組織だと、かなり厳しい。組織内に信頼が醸成できていないし、ステークホルダーからも信頼されていないし、信頼できるステークホルダーもいない。
チームというのは、社内だけの話しではなく、協力会社や代理店さんや顧客からの信頼という意味も含めたチーム。
机上じゃないのだから、イキナリやって、そんなにぱっと強いチームが作れない。

継続することで、作り上げられる、この有機的で強いチームがあるからこそ、過剰収益を導き出せる。
この過剰収益の源泉を、ロジカルには説明しずらい。

では、どうしたら企業を継続していけるのか。
企業を継続させていくためには、「ミッション」が重要なのである。「ミッション」や「意義」があるからこそ継続させていける。

つまり、なんとなく集まった僕達が、なんとなく100年過ごしています、なんてことはありえない。何かをミッションや目標にするからこそ、求心力が出てきて、組織が成り立ち存続する。
同様に、偏りのない僕達が、なんとなく偏りのないまま100年過ごしています、なんてこともありえない。
ミッションにあわせて、偏りが存在し、そのエッジがその会社をユニークにさせて、その会社を存在させる。

その企業という生命体に「ミッション」や「意義」や「偏り」があって、そのミッションに情熱を燃やし続けているからこそ、継続ができる。
継続をするから、はじめて、チームが出来上がっていく。信頼感を持ちあえるチームになって、はじめて過剰利益が叩き出せる。

 

・「ミッション」を持つことは、解散を導き出すことにつながる

組織が「ミッション」や「意義」を持つということはどういうことか。
その「ミッション」を果たす必要性がなくなると、その組織の目的は、終了となる。つまり、解散すべきなのである。

僕は、昔、新卒で、ベンチャー・リンクという会社に就職した。この会社に就職したことは、上田の人生における最高の選択の一つだったと今でも思う。
この会社は、ユニークな会社であり、当時の事業内容は、月額会員である顧客企業のニーズや経営状況を登録してもらって、データベースを使って、お互いに検索やマッチングをさせる、というサービスを提供していた。

インターネットが普及するにつれ、このサービスは、たしかに必要度の低いサービスになってしまい、事業も縮小し、さらに、いろいろあって会社は倒産したわけなのだが、つまり閉鎖されたわけだが、仮に倒産しなかったとしても、縮小や撤退をすべきだったのだろうと思う。

ただ、インターネットが普及してきて、はじめて利用度が激減するのであって、インターネットが出てくる前には、革新的なサービスであり、存在意義があり、輝いていた。だから、僕はこの会社の、この事業の意義やミッションに惹かれて入社したのだ。

つまり、簡単に言うと、「死ぬからこそ生きている」のだ。(全然、簡単に言えてないが。)
通夜や葬儀の場に出させてもらうと、悲しく、寂しい気持ちになりつつ、リアルに自分の死をイメージする。自分が、自分の死をイメージした時に、自分はやるべきことがあると強く思った。
「死」と「生」は、両面である。

会社もそうだと思う。
「私達は、今、社会に存在する意義がある。」があるからこそ、今の自分たちの「ミッション」や「意義」をより定義して、その「ミッション」のためにチームがあつまり、そのチームに信頼が作られていくのだと思う。
そういう意義があるからこそ、意義がなくなると、存続が不可能となる。これが自然なのである。
何もなく、ただただ、100年続くことはありえない。

過剰収益は、当然に必要。

「信頼あるチーム」か、「偏り」などが必要。

「信頼あるチーム」を作るには、持続的な組織運営が必要。

持続的な組織運営のためには、「ミッション」が必須。

「ミッション」ドリブンで経営する以上、「ミッション」を果たすと解散圧力が高まる。
でも、所詮、そんなもの。死を意識するからこそ、はじめて、生が際立つ。

結論としては、持続的成長もあれば、縮小もあれば、解散もある。

 

・ガイアックスの場合

そういう意味では、幸いながら、ガイアックスは、複数事業にて構成される会社、事業ポートフォリオを組んでいる会社だから、こそ、全体では持続的成長を目指すべき、存在である。
ガイアックスの中のそれぞれの単一の事業は、無理に持続的成長を目指すべきではないと思っている。
意味やニーズやミッションが小さくなるフェーズであれば、そのマーケット内で、ダントツシェアトップとなり、最大の支持を得て、最高のサービスを提供し、涙が流れるほどの感動を提供しつつ、同時に、適切にサイズダウンしていくべきである。無理に過剰投資をしないべきである。
そういうスタンスを持って、しっかりと過剰収益を上げるべきである。

もちろん、ガイアックスも事業ポートフォリオを組んでいるとはいえ、全体において「ソーシャルメディアに絞り込む」という偏りを作っているので、「人と人をつなげる」というミッションを掲げているので、その偏りやミッションが社会に必要とされなくなった場合、ガイアックス全体であっても、持続的成長を無理にするべきではない。縮小していくべきである。
また、場合によれば、解散すべきなのである。
ただ、その場合であっても、継続して、過剰収益を上げねばならない。過剰収益を上げるために、縮小や解散をするべきなのである。

 

もっと偏りたい。偏りの無い人間に魅力はなく、偏りの無い会社にも魅力はないと思う。もっと偏りたい。
ソーシャルメディア、ラブ!人と人をつなげる、ラブ!

 

そして、早く「人と人がつながって」「世の中の人の脳と脳が1つに統合されちゃって」、そして、早く解散したい!

 

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