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どうせ、周りのこと、社会のことはコントロールできない。

 

「コストは自分でコントロールできますが、売上はコントロールできないので目標は立てれません。」
「今ある売上目標は高すぎて現実味がない。」

売上の計上可否を決める意志決定権は顧客サイドにあり、自分サイドには無い。
コンセンサスを裏切らない顧客もいるが、基本的には気まぐれな顧客ばかりである。
つまりどこまで行ってもコントロールできないのである。そもそもコントロールが出来ないのにどこに現実味があるのだろうかと思う。やれそうだと思うところまでやろうとするかどうかである。

 

「メンバーをこういう風にしていく、っていうのは、偉そうだし、自分じゃないんだから、無理だ。」

過去と他人は変えられない。まさにその通りで他人は変えようと思っても変えられない。
変えれるのは未来と自分だけであり、他人を変えるのは絶対に無理なことである。
「会社の中での社員のポジションチェンジは経営者の完全なる自由」だと思っても、最終的に「会社を辞めるのは社員の完全なる自由」なのである。所詮、経営者には社員をどうこうする自由など一切無いのと同然なのである。

 

「予定調和な業務の整理整頓をしてくれないと、突発事象ばかりだと、効率的に業務を処理できません。」

こういう感想を持つのは現実として理解できるが、こういう感想を持つスタッフも、そもそも理論的には、予定調和な業務の整理整頓マネジメントは絶対に不可能ということを知っていたほうが良い。
またその突発事象を予定調和に変えていくのが、まさに求められている、より貴重で高度な業務なのである。

社長の業務は予定調和的に整理整頓ができるか?突発事象の無いようにマネジメントできるのであろうか?
絶対に無理である。社会の変化の風を体全体で感じ、常に舵取りをしていかなければならない。
常に朝令暮改で変更をしていかねばならない。

そもそも「社会」は変化をしており、「社会」と「会社」の2つを比べると絶対に「社会」の方が変化が速い。
そのため、「社会」の変化についていけない「会社」、つまり倒産する「会社」が毎年かなり多く出てくる。
もっと言えば、必ずついていけなくなり、必ず「会社」は倒産する。
せめてありえて、「社会」の変化になんとか喰らいついていけているビジョナリーカンパニーが数社あるだけである。

 

つまり、予定調和ではなく、不確実であり、コントロールできない。しかしながら、コントロールできないからこそ、夢や目標やビジョンがあるのである。

「僕の将来の目標はパイロットになることなんだ!」
「僕は将来パイロットになろうかとも思うけど、採用するかどうかは面接官が決めることだから、僕としては将来の目標としては設定しないんだ!」
まさにバカである。

 

「僕は将来起業したい。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して自分の会社を株式公開をさせる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して少なくとも松下幸之助や稲盛和夫ぐらいにはなる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

目標は高すぎて現実味がないのか?

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