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最近の記事を見て思うことを。

先般の、沖縄防衛局の田中聡前局長の「犯す前に」発言で、オフレコだったのにマスコミが報道してしまい、その結果、日本中に袋叩きにあって、すごく残念なことになっている件について。

もちろん、その発言自体はダメだと思うものの、そもそもの失言系のことが全然減らないことについて。

「犯す前に…」発言 琉球新報のオフレコ破りを考える
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/537285/

 この問題を受けて、全国のほとんどの新聞社が加盟する日本新聞協会の編集委員会は、オフレコ問題について協議し、平成8年2月に見解をまとめて発表しました。

見解は「オフレコはニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と、オフレコ破りを禁じています。

すごくまっとうな記事だなぁと思った。「犯す前に…」とかっていう、こういう発言をしたら、叩かれてしまうのはしょうがないし、反論の機会もないとは思うものの、マスコミはマスコミで、オフレコで合意していたらそれを破ったらいけないだろう、と思う。

いつもそうだが、多くのマスコミは理念なく政府批判を繰り返しているように思える。最近、ナベツネさんが、新聞各社が連携して主張を出さないといけないと述べていましたが、まさにそのとおりだと思う。ナベツネさん、すごい。

新聞各社の主張がそれぞれ偏っていても全然いいと思いますが、現政権に対しては、何を言っても批判的なのはおかしいのではないかと思う。新聞社として日本の問題点が「財政再建」にあると思えば(個人的にはそう思うが。)、原則としてその方向の記事を書いていくべきで、それに反対する政策は叩き、それに沿う政策は賞賛すべきだと思う。現状だと、「現政権」というだけで、何を出しても叩いちゃっていて、じゃぁ何をすればいいのだ、という気になる。

http://mainichi.jp/seibu/sports/news/20111201ddp012050030000c.html

◆政治の現状については

一番の問題は日本の財政再建。自民党は反対ばかりしないで、消費税や社会保障、TPPなど、民主党と協力して成立させなければいけない。そのために、朝日、毎日、読売を中心に全国紙が共同提案をしないといけない。(新聞が)一斉に言ったら政府は動くよ。最後の手はそれだな。

あと、政府側も、日本の問題点を本気で直すつもりなら、もっと、政権自体がマスコミ支配に対してもっと力を使うべきだろう。政権を動かしているのは、世論でも首相の能力でもなくマスコミであるのが最近の風潮で、それに注力しないのは効率的だとは思えない。「可能な限り取材を受けない」という消極的対処も分からなくはないが、、。もっとフル活用すべきだと思う。

先日、やっとクビになったイタリア首相のベルルスコーニさんも、自分の持っているメディア会社をフル活用していたと思うし、メディア統制をしてたように思う。だからこそ、あそこまでスキャンダルだらけだったのにも関わらず長期政権になったと思う。ある意味尊敬するし、すごいと思う。そういうパワーを突っ込まないと。

しかし、そもそものところで、マスコミに対して、ソーシャルメディアがもっと 力を持たないと。現状だと、インターネットやソーシャルメディアも「小学生1年生ぐらいの人格状況・頭脳状況」で、まだ思考や信念を持てていず、感情をそのまま口に出しているだけのフェーズっぽい。ネットに手をかざすと最大公約数的な大衆の気持ちも伝わってくるし、そのメッセージが大衆に伝わるようになるだろう。

 

話は戻るが、今後の世の中では、「オフレコ」というのは、通じなくなるだろう。

よく学生が、「言っちゃならないこと」をSNSやTwitterに書いちゃって袋叩きにあっているが、そこら中でスマホを持っていて、ネットにつながっているんだから、「壁に耳あり」どころか、半径5m以内に世界へのつながりが少なくとも10個ぐらいはある状態であって、とてもじゃないが、「オフレコ」や「ここだけの話」などは、実現不可能になると思う。言うことはすべてオープンになると思ったほうが適切である。

昔は、ポイ捨てだったり、車の運転でクラクションを鳴らしたり、学校現場での体罰であったり、っていうことが当たり前のようにあったが、時代の変遷と共にきれいになってきた。

同様に、今後は、発言は常にオープンで常に社会に向かって発言をするつもりでいないといけない。旧世代の人間は、そこまでのモラルが体の中に染み込んでいないため、そういう旧世代の人間がトップに立っても、その「うっかり喋っちゃった」リスクが満載で、叩かれたり長期政権にはなりづらいだろう。デジタルネイティブな人たちは、オープンなことが普通だと思うし、思ったことはネットにオープンに書いちゃう日々があるが故に、トラブルを小さい内に経験するし、「書いちゃだめ」ではなくそもそも「思っちゃだめ」という理解を体に染み込ませていくのだろうと思う。

「心の底からクリーンで、棘の無いことしか思わない人たち、感じない人たちが量産されてくること」が、棘を含む風刺やモラルの無い映画も大好きな個人としては寂しい反面、間違いなくそういう社会が良いと思うし、そういう社会の進化に癒される気持ちもある。

きっと、これから、つぶやいてはならないことをブログに書くのだろうなぁと思いつつ。

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