天才でないと

諦めてはならない。
結果として、やはり稲盛さんであるとか、ウォーレンバフェットのようにならねばならない。

天才っていうのは、
天賦の才に対する強い責任感とか、自分に対する高いプライドとか、夢に対する絶対的なコミットとか、
そういうものを認識して状態なのだろうとおもう。

・天賦の才に対する強い責任感
生まれた時から頭の回転が速いかどうか、というのは重要ではなく、
それは秀才のように努力して知識を溜め込むことでもなく、
自分の頭の良さに対して、社会のために天から授かったものでありその責任を果たさねばという気持ちが、頭の回転をますます速くさせていくのであろう。

・自分に対する高いプライド
まわりに弱い部分を見せれないというようなプライドということではなく、
また、今の自分に自信を持って偉そうにすることでもなく、
事実として良し悪しのある今の自分があって、それを正しく認識して、
そして、本来自分はいかにすばらしい存在であるべきなのか?という点について非常に高いプライドがあり、
そして、いかにまだまだ自分のあるべき姿に対して届いていないのか?という部分に心を張り巡らせる。
結果として周りの人と接する際には謙虚な姿勢となる。

・夢に対する絶対的なコミット
諦めてはならない。実現しない状態で終わるわけにはいかない。夢と自分を切り離してはならない。
常に自分が夢通りになることを普通に信じている。
「なれたらいいな。」ではなく、「なるのだろうな。良かった、ありがとう。」という気持ち。
絶対的というのは、曇りの無い純度の高い、という意味。

こういうことを認識している状態が天才なのだろうと思う。
結果として、稲盛さんであるとか、ウォーレンバフェットとか、イチローとかのようになるのだろう。

僕は普通に起業するべくして起業したとおり、普通に天才になるべくして天才になる。
この世に生まれてはじめて言葉を発することができたが、天才になれてはじめて社会の一員になれる。
社会的に早く生まれないと。

コントロールができない

どうせ、周りのこと、社会のことはコントロールできない。

 

「コストは自分でコントロールできますが、売上はコントロールできないので目標は立てれません。」
「今ある売上目標は高すぎて現実味がない。」

売上の計上可否を決める意志決定権は顧客サイドにあり、自分サイドには無い。
コンセンサスを裏切らない顧客もいるが、基本的には気まぐれな顧客ばかりである。
つまりどこまで行ってもコントロールできないのである。そもそもコントロールが出来ないのにどこに現実味があるのだろうかと思う。やれそうだと思うところまでやろうとするかどうかである。

 

「メンバーをこういう風にしていく、っていうのは、偉そうだし、自分じゃないんだから、無理だ。」

過去と他人は変えられない。まさにその通りで他人は変えようと思っても変えられない。
変えれるのは未来と自分だけであり、他人を変えるのは絶対に無理なことである。
「会社の中での社員のポジションチェンジは経営者の完全なる自由」だと思っても、最終的に「会社を辞めるのは社員の完全なる自由」なのである。所詮、経営者には社員をどうこうする自由など一切無いのと同然なのである。

 

「予定調和な業務の整理整頓をしてくれないと、突発事象ばかりだと、効率的に業務を処理できません。」

こういう感想を持つのは現実として理解できるが、こういう感想を持つスタッフも、そもそも理論的には、予定調和な業務の整理整頓マネジメントは絶対に不可能ということを知っていたほうが良い。
またその突発事象を予定調和に変えていくのが、まさに求められている、より貴重で高度な業務なのである。

社長の業務は予定調和的に整理整頓ができるか?突発事象の無いようにマネジメントできるのであろうか?
絶対に無理である。社会の変化の風を体全体で感じ、常に舵取りをしていかなければならない。
常に朝令暮改で変更をしていかねばならない。

そもそも「社会」は変化をしており、「社会」と「会社」の2つを比べると絶対に「社会」の方が変化が速い。
そのため、「社会」の変化についていけない「会社」、つまり倒産する「会社」が毎年かなり多く出てくる。
もっと言えば、必ずついていけなくなり、必ず「会社」は倒産する。
せめてありえて、「社会」の変化になんとか喰らいついていけているビジョナリーカンパニーが数社あるだけである。

 

つまり、予定調和ではなく、不確実であり、コントロールできない。しかしながら、コントロールできないからこそ、夢や目標やビジョンがあるのである。

「僕の将来の目標はパイロットになることなんだ!」
「僕は将来パイロットになろうかとも思うけど、採用するかどうかは面接官が決めることだから、僕としては将来の目標としては設定しないんだ!」
まさにバカである。

 

「僕は将来起業したい。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して自分の会社を株式公開をさせる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して少なくとも松下幸之助や稲盛和夫ぐらいにはなる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

目標は高すぎて現実味がないのか?

ビジョンの必要条件

会社というのは、ステークホルダーのために存在するのではなく、ビジョン達成のために存在するものだと思う。
そのビジョン達成というプロジェクトにステークホルダーが集まってきているのだろう。

そしてビジョンを掲げるにあたっては、どのようなビジョンでも良いのか?というとそうではないと思う。
もちろん、だめだ、ということではないが、僕個人として、このビジョンと心中できると思うものには条件がある。
つまりビジョンにも必要条件があると思っている。

ひとつは、まだ達成されていないこと。
もうひとつは、現時点の価値観で理解できないこと。つまり理解できないこと。

たとえば、「東京<>大阪を3時間で結べる社会を作る」というのはすでに実現しているので、前者の条件から考えると残念ながらあるべきビジョンとしては非適格である。

また「東京<>大阪を2時間で結べる社会を作る」というのも、夢のある話なので悪くはないが、後者の条件から考えて、理解ができるので、僕の求めるビジョンではない。

当時の坂本龍馬の掲げた「カンパニー」という概念や、
当時の松下幸之助が掲げた「水道理論:水のようにただ同然で家電製品を行き渡らせる」という概念が、
その時代において理解されたか?というと難しかったのではないかと思う。

そういう訳の分からないビジョンはまずもって正しいかどうか分からない。
「そういう社会こそがもしかしたら幸せな社会なのでは?」という大きな仮説なだけなのである。
にも関わらず、それをビジョンに掲げるということは、それを実現させてみよう、と思うというわけである。
実現させたところで、単に意味のない社会とか不幸せな社会を作るだけに終わるかもしれないのに、である。
だからこそ面白いことだと思う。やってみようではないかと思える。

脳と脳をつなげる。

今の社会は自分や知り合いを優先している。
赤の他人を自分や知り合いと同等に考えれる社会を作る。
人の脳と脳をつなげて、そもそも自分と他人との違いを分からなくさせる。
自分自身は自分のものではなく、社会の所有物であることを感じれるようにする。