ドリームプランプレゼンテーション

12月の中旬にドリームプランプレゼンテーション、通称、ドリプラ、に、コメンテーターとして参加させて頂いた。

http://drepla.com/

事業の価値を説明するのではなく、その事業が社会に広まった時、どんなシーンが起こるのかを体験してもらうのがドリームプラン・プレゼンテーションです。
プレゼンターは10分間という限られた時間の中で、事業の価値、あきらめない理由を伝え、見ている人たちに大きな感動と共感を与えます。その結果、真の支援者を集めることができるようになるのです。

前日の予選も含めて、今年も素晴らしいプレゼンテーションだった。

夢に向かってがんばっている方々の姿を見て、感動しながら、勇気づけられ、また、もっと自分自身が頑張らなくては感じれる。

どうすれば、10分間のプレゼンテーションで、ここまでたくさんの人を感動の涙で溢れさせることができるのだろうか。このプレゼンテーションの素晴らしさは不思議でしょうがない。本当に信じられないことであるが、このプレゼンテーションには、事業計画もない。プレゼンには文字もない。それでも毎年のことながら、泣ける。
ドリプラを超えるほどの感動するプレゼンテーションには出会ったことがない。
あるプレゼンテーションでは、「日頃から感謝を伝え合える社会にしたい。」という夢を語っている方がいた。そのプレゼンテーションでは、ボランティアでゴミ拾いに参加したこと。そのゴミ拾いのボランティアであっても皆さん笑顔で楽しくゴミ拾いをされていらっしゃること。にも関わらず、通常の日中の仕事では、楽しくはなく笑顔でもなくつまらなく過ごしているケースがあること。

ゴミ拾いでも笑顔なのに、仕事で笑顔では無いって。落ち着いて考えると、考えられないぐらいすごいことである。まぁでもありそうである。そういった世の中を変えて行きたい、職場を明るくしたい、職場のみんなが互いに感謝を言い合える場にしていきたい、だからこそ、感謝を言い合える場を作るのだ!とプレゼンされていた。彼なりに過去の人生で、いろいろな体験をしてこられており何としてでも改善したいのだと伝わってきた。一見、無謀、且つ、事業と呼ぶには収益性やら何やらが抜け落ちているように見える。ただ、事業において何よりも重要なのは、志や気持ちなのだということを、改めてこのプレゼンテーションを聞くと認識させられた。

 

実際、自分自身もこのプレゼンを聞いて、いろいろ考えこんでしまった。ガイアックスにおいても、本当に多くのメンバーが常にがんばってくれているし、人生の大切な時間を突っ込んでくれている。時にはかなりの無理もしてくれている。人によって大切なことは異なるとは思うし、ワークライフバランスなどなどもあると思うが、ほぼどのようなケースであっても、明らかに目が覚めている時間の最大値をガイアックスに投資してくれている。人によってはご家族に何かあった場合、一時的にそちらを優先することもあるかもしれないが、実際にはどなたもガイアックスがご家族と並ぶもしくはそれ以上の大きなポーションを占めている。会社というのはそこまで重いものである、という認識を、このプレゼンを聞いて、改めて痛感した。(もっとも、当たり前だが、「組織」や「組織の維持」や「組織に属していること」を目的とせず、「組織の目的」や「事業理念」こそを目的としなければならないが。)

 

そもそも事業立ち上げには、気持ちというエネルギーが必要。
これまでベンチャー業界に足を踏み入れて10年を超える。事業をいろいろ見てきて、「ビジネスアイデア」や「機を見て云々」や「仕組み」だけでは事業が立ち上がらないのは、何度も実感している。強い気持ちがないと。

ドリプラでは、HPにも記載されているが、下の2点を一番大切にしている。この気持ちを本気で伝えてくるから、本気で伝わってくるから、聞いていて感動するのだろうと思う。

<最高の価値の体験>
その事業が成功し、世の中に広がっていく中で、生まれる最高の価値を誰にでもわかるような感動の物語として伝えます。事業の価値を説明でなく、疑似体験的に伝えます。最高の価値に感動、共感していただければ、それを実現するために必要な経営資源は、後からいくらでも集めることができるようになります。

<あきらめない理由>
どんな困難や問題が起ころうとも、どんなに時間がかかろうとも、それらを乗り越えて、夢を実現することができる自分だけの理由を明確にします。自分の過去の体験や感性、人生観と、これからやろうとしている夢をリンクさせます。支援者は、あきらめない理由がある人を支援します。

もっと知り合いに、もっと社内に、参加することをオススメすべきだったとすごく後悔している。

ただ、きっと、僕がブログで書いた所で、伝わらないだろう。
今年、2名の社員が一般観覧されたが、やはり涙が止まらなかったとのこと。で、曰く、「まさかここまでのイベントだったと思いもしなかった。先に言ってくださいよ。」
どう伝えればいいのかが、分からない。

株主代表訴訟と役員報酬

最近のニュースから。

JR東役員らに57億賠償請求=超過取水で株主代表訴訟-東京地裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011120500340

 JR東日本が新潟県内の信濃川で水力発電用の水を超過取水し、水利権を取り消された問題で、同社の株主3人が5日、会社に損害を与えたとして経営陣ら20人を相手に、計57億円の賠償を求める株主代表訴訟を東京地裁に起こした。

法律違反なのだから、ということで、その法人の役員に対して株主が代表訴訟をするのは、至極まっとうな気がする。

しかしながら、JR東日本クラスの大きな会社で、どこまで役員がこの不正に関与していたのか、というと、とてもじゃないが、そこまで関与しているとは思えない。オリンパスのケースにおいて日本の役員陣が知らなかった、、とは思えないが、この程度の不正であれば、役員会のメンバーに事前に裏でコンセンサスを取るほどのことでもないし、また、部長クラスの暴走で、担当役員クラスですら、知らなかったということもありえると思う。

もちろん、役員として、こういった不正が発生しないように、社内に対する監査体制やガバナンス体制を作ることは大切だと思うが、作ったところで、時々はこういう漏れも発生して、不正も発生することがあるだろう。そして、この責任を役員個人が背負うということも、ケースによってや裁判によっては、発生してくると思う。少なくとも、株主代表訴訟、つまり法人が役員個人を訴えている形なので、一時的には、少なくとも、法人ではなく個人としてこの裁判を受けなければならず、場合によっては弁護士費用なども発生してくる。

敗訴の場合においても、裁判で役員個人の資産状況や報酬状況を考慮して、損害額の着地をしてくれたらいいが、そういうのを考慮してもらえないだろうし、即個人破産になることもあるだろう。

個人的には、「売上規模の大きな会社の役員において、自分自身が不正を行わない場合によっても、こういう大きなリスクが乗っかってくる」という事自体は、賛成だが、それに相対する形で、役員報酬額は欧米レベルぐらいに上げていかなければならないと考える。

売上で兆を超えるクラスの役員の報酬が年間数千万円の下の方って、いうのは、あまりにグローバルスタンダードから乖離しているし、本件のような事例が増えれば増えるほど、アンバランス感が増大すると思う。

結局、大手企業における役員は、「サラリーマンの延長」という位置づけで社内コンセンサスを取れているが、訴訟されることも含めて、社会全体でコンセンサスを取れているのか、というと、そうではないのだろう。

「サラリーマンの延長」として、位置づけられ、報酬額も普通のサラリーマンの数倍程度まで、でコントロールされている社会と、欧米のようなケタ違いの報酬をもらいつつプロ経営者として業務執行する社会と、どちらの社会が幸せな社会か分からないけれど、「株主代表訴訟をしてくる普通の一般投資家」は、あくまで「兆の規模の会社の経営を責任持って業務執行している人」として接してきているので、そこにずれがあるのだろうと思うし、結論的には、そういう社会になっていくのだと思う。

ケタ違いの報酬をもらいつつ、無事、引退をしたら、その多くのお金を、税金で取られるなり寄付をするなりをして、余ったものは適切に社会にお返しするぐらいの文化が、一番良いなぁと思う。

オフレコがなくなる時代へ

最近の記事を見て思うことを。

先般の、沖縄防衛局の田中聡前局長の「犯す前に」発言で、オフレコだったのにマスコミが報道してしまい、その結果、日本中に袋叩きにあって、すごく残念なことになっている件について。

もちろん、その発言自体はダメだと思うものの、そもそもの失言系のことが全然減らないことについて。

「犯す前に…」発言 琉球新報のオフレコ破りを考える
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/537285/

 この問題を受けて、全国のほとんどの新聞社が加盟する日本新聞協会の編集委員会は、オフレコ問題について協議し、平成8年2月に見解をまとめて発表しました。

見解は「オフレコはニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と、オフレコ破りを禁じています。

すごくまっとうな記事だなぁと思った。「犯す前に…」とかっていう、こういう発言をしたら、叩かれてしまうのはしょうがないし、反論の機会もないとは思うものの、マスコミはマスコミで、オフレコで合意していたらそれを破ったらいけないだろう、と思う。

いつもそうだが、多くのマスコミは理念なく政府批判を繰り返しているように思える。最近、ナベツネさんが、新聞各社が連携して主張を出さないといけないと述べていましたが、まさにそのとおりだと思う。ナベツネさん、すごい。

新聞各社の主張がそれぞれ偏っていても全然いいと思いますが、現政権に対しては、何を言っても批判的なのはおかしいのではないかと思う。新聞社として日本の問題点が「財政再建」にあると思えば(個人的にはそう思うが。)、原則としてその方向の記事を書いていくべきで、それに反対する政策は叩き、それに沿う政策は賞賛すべきだと思う。現状だと、「現政権」というだけで、何を出しても叩いちゃっていて、じゃぁ何をすればいいのだ、という気になる。

http://mainichi.jp/seibu/sports/news/20111201ddp012050030000c.html

◆政治の現状については

一番の問題は日本の財政再建。自民党は反対ばかりしないで、消費税や社会保障、TPPなど、民主党と協力して成立させなければいけない。そのために、朝日、毎日、読売を中心に全国紙が共同提案をしないといけない。(新聞が)一斉に言ったら政府は動くよ。最後の手はそれだな。

あと、政府側も、日本の問題点を本気で直すつもりなら、もっと、政権自体がマスコミ支配に対してもっと力を使うべきだろう。政権を動かしているのは、世論でも首相の能力でもなくマスコミであるのが最近の風潮で、それに注力しないのは効率的だとは思えない。「可能な限り取材を受けない」という消極的対処も分からなくはないが、、。もっとフル活用すべきだと思う。

先日、やっとクビになったイタリア首相のベルルスコーニさんも、自分の持っているメディア会社をフル活用していたと思うし、メディア統制をしてたように思う。だからこそ、あそこまでスキャンダルだらけだったのにも関わらず長期政権になったと思う。ある意味尊敬するし、すごいと思う。そういうパワーを突っ込まないと。

しかし、そもそものところで、マスコミに対して、ソーシャルメディアがもっと 力を持たないと。現状だと、インターネットやソーシャルメディアも「小学生1年生ぐらいの人格状況・頭脳状況」で、まだ思考や信念を持てていず、感情をそのまま口に出しているだけのフェーズっぽい。ネットに手をかざすと最大公約数的な大衆の気持ちも伝わってくるし、そのメッセージが大衆に伝わるようになるだろう。

 

話は戻るが、今後の世の中では、「オフレコ」というのは、通じなくなるだろう。

よく学生が、「言っちゃならないこと」をSNSやTwitterに書いちゃって袋叩きにあっているが、そこら中でスマホを持っていて、ネットにつながっているんだから、「壁に耳あり」どころか、半径5m以内に世界へのつながりが少なくとも10個ぐらいはある状態であって、とてもじゃないが、「オフレコ」や「ここだけの話」などは、実現不可能になると思う。言うことはすべてオープンになると思ったほうが適切である。

昔は、ポイ捨てだったり、車の運転でクラクションを鳴らしたり、学校現場での体罰であったり、っていうことが当たり前のようにあったが、時代の変遷と共にきれいになってきた。

同様に、今後は、発言は常にオープンで常に社会に向かって発言をするつもりでいないといけない。旧世代の人間は、そこまでのモラルが体の中に染み込んでいないため、そういう旧世代の人間がトップに立っても、その「うっかり喋っちゃった」リスクが満載で、叩かれたり長期政権にはなりづらいだろう。デジタルネイティブな人たちは、オープンなことが普通だと思うし、思ったことはネットにオープンに書いちゃう日々があるが故に、トラブルを小さい内に経験するし、「書いちゃだめ」ではなくそもそも「思っちゃだめ」という理解を体に染み込ませていくのだろうと思う。

「心の底からクリーンで、棘の無いことしか思わない人たち、感じない人たちが量産されてくること」が、棘を含む風刺やモラルの無い映画も大好きな個人としては寂しい反面、間違いなくそういう社会が良いと思うし、そういう社会の進化に癒される気持ちもある。

きっと、これから、つぶやいてはならないことをブログに書くのだろうなぁと思いつつ。

天才でないと

諦めてはならない。
結果として、やはり稲盛さんであるとか、ウォーレンバフェットのようにならねばならない。

天才っていうのは、
天賦の才に対する強い責任感とか、自分に対する高いプライドとか、夢に対する絶対的なコミットとか、
そういうものを認識して状態なのだろうとおもう。

・天賦の才に対する強い責任感
生まれた時から頭の回転が速いかどうか、というのは重要ではなく、
それは秀才のように努力して知識を溜め込むことでもなく、
自分の頭の良さに対して、社会のために天から授かったものでありその責任を果たさねばという気持ちが、頭の回転をますます速くさせていくのであろう。

・自分に対する高いプライド
まわりに弱い部分を見せれないというようなプライドということではなく、
また、今の自分に自信を持って偉そうにすることでもなく、
事実として良し悪しのある今の自分があって、それを正しく認識して、
そして、本来自分はいかにすばらしい存在であるべきなのか?という点について非常に高いプライドがあり、
そして、いかにまだまだ自分のあるべき姿に対して届いていないのか?という部分に心を張り巡らせる。
結果として周りの人と接する際には謙虚な姿勢となる。

・夢に対する絶対的なコミット
諦めてはならない。実現しない状態で終わるわけにはいかない。夢と自分を切り離してはならない。
常に自分が夢通りになることを普通に信じている。
「なれたらいいな。」ではなく、「なるのだろうな。良かった、ありがとう。」という気持ち。
絶対的というのは、曇りの無い純度の高い、という意味。

こういうことを認識している状態が天才なのだろうと思う。
結果として、稲盛さんであるとか、ウォーレンバフェットとか、イチローとかのようになるのだろう。

僕は普通に起業するべくして起業したとおり、普通に天才になるべくして天才になる。
この世に生まれてはじめて言葉を発することができたが、天才になれてはじめて社会の一員になれる。
社会的に早く生まれないと。

コントロールができない

どうせ、周りのこと、社会のことはコントロールできない。

 

「コストは自分でコントロールできますが、売上はコントロールできないので目標は立てれません。」
「今ある売上目標は高すぎて現実味がない。」

売上の計上可否を決める意志決定権は顧客サイドにあり、自分サイドには無い。
コンセンサスを裏切らない顧客もいるが、基本的には気まぐれな顧客ばかりである。
つまりどこまで行ってもコントロールできないのである。そもそもコントロールが出来ないのにどこに現実味があるのだろうかと思う。やれそうだと思うところまでやろうとするかどうかである。

 

「メンバーをこういう風にしていく、っていうのは、偉そうだし、自分じゃないんだから、無理だ。」

過去と他人は変えられない。まさにその通りで他人は変えようと思っても変えられない。
変えれるのは未来と自分だけであり、他人を変えるのは絶対に無理なことである。
「会社の中での社員のポジションチェンジは経営者の完全なる自由」だと思っても、最終的に「会社を辞めるのは社員の完全なる自由」なのである。所詮、経営者には社員をどうこうする自由など一切無いのと同然なのである。

 

「予定調和な業務の整理整頓をしてくれないと、突発事象ばかりだと、効率的に業務を処理できません。」

こういう感想を持つのは現実として理解できるが、こういう感想を持つスタッフも、そもそも理論的には、予定調和な業務の整理整頓マネジメントは絶対に不可能ということを知っていたほうが良い。
またその突発事象を予定調和に変えていくのが、まさに求められている、より貴重で高度な業務なのである。

社長の業務は予定調和的に整理整頓ができるか?突発事象の無いようにマネジメントできるのであろうか?
絶対に無理である。社会の変化の風を体全体で感じ、常に舵取りをしていかなければならない。
常に朝令暮改で変更をしていかねばならない。

そもそも「社会」は変化をしており、「社会」と「会社」の2つを比べると絶対に「社会」の方が変化が速い。
そのため、「社会」の変化についていけない「会社」、つまり倒産する「会社」が毎年かなり多く出てくる。
もっと言えば、必ずついていけなくなり、必ず「会社」は倒産する。
せめてありえて、「社会」の変化になんとか喰らいついていけているビジョナリーカンパニーが数社あるだけである。

 

つまり、予定調和ではなく、不確実であり、コントロールできない。しかしながら、コントロールできないからこそ、夢や目標やビジョンがあるのである。

「僕の将来の目標はパイロットになることなんだ!」
「僕は将来パイロットになろうかとも思うけど、採用するかどうかは面接官が決めることだから、僕としては将来の目標としては設定しないんだ!」
まさにバカである。

 

「僕は将来起業したい。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して自分の会社を株式公開をさせる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

「僕は将来起業して少なくとも松下幸之助や稲盛和夫ぐらいにはなる。」
本当?目標設定はその水準?設定ロジックは合理的?

目標は高すぎて現実味がないのか?